開発者インタビュー、第一回目に登場して頂くのは「TiltShiftGen」や「ToyCamera」アプリの作者としても有名な深津貴之さんです。
インタビュアーは吉田アナウンサーが務めます。
取材・文/関根麻美 インタビュアー/吉田尚記
「発明家と魔法使いに近いところにはなれたのかな。」
吉田(以下よ):一回目の開発者インタビューとなります。今回お話をお伺いするのは、この方です。
深津(以下ふ):Art & Mobileの深津と申します。よろしくお願いいたします。
よ:よろしくお願いいたします。実は今日仕事場におじゃましているんですが、ここ仕事場というかご自宅ですよね?
ふ:そうですね。自宅兼仕事場です。基本クライアントワークをあまりやっていないので、打ち合わせというものがほとんど発生しないんですよ。なので、仕事場は純粋に作業する場所ということになっています。基本的に、クライアントワークは、1年に1本~2本しか受けていなくて。残りは自分でアプリケーションを作ってそのアプリを販売しています。
よ:それが出来る方って今日本中に何人ぐらいいらっしゃるんでしょうか?
ふ:そうですね。ちょっとよくわからないですけど、おそらく多くて5人~10人くらいではないかと思います。
よ:その立場は狙ってその立場になられたんですか?
ふ:いや、最初は全然関係無くやっていたんですけど、まあある程度行ったところから生活めどが立つようになりまして。そうなってくるとやっぱりお金をもらって人のものを作るより、お金もらって自分のもの作れるほうが楽しいので、そっちをメインにしていこうと意識的に活動するようになりました。
よ:始めからフリーを目指したわけではないんですね。じゃあ深津さんは一番初めは何になりたかったんですか?
ふ:一番初めですか!?どこまで巻き戻しましょうか?
よ:本当にゼロの部分が知りたいですね。物心ついた時は何になりたかったんでしょうか?
ふ:子供の頃なりたかったものですか、、、忍者、魔法使い、探偵、発明家、あたりですね。
よ:なるほど!これ全部アプリっぽいですね!僕結構アプリを使っていると、魔法にたぐいするものだなと思う時があるんですよ。
ふ:確かに。それはありますね。携帯電話そのものが魔法に近いですし。でもそう考えていくと、僕は今結果的に、デザイナーとプログラマーの中間みたいなポジションにいると思うんですけども、作りたいなと思ったらなんでも作れるので、まあ4つのうちの発明家と魔法使いに近いところにはなれたのかな。と思いますね笑。
よ:その後どのような道を歩まれたんですか?
ふ:中高は普通に過ごしたんですけども、その後大学で武蔵工業大学っていうところの環境情報学部、都市情報デザイン研究室というゼミに入りまして、その頃からITとかインターネットとかが興味のメインになっていきました。大学の研究室を卒業した後は、ロンドンに2年半留学をして、その時はセントラルセントマーチンスという大学でプロダクトデザインを学んでいました。ユーザーインタフェースとか、実際に物を削ったりとか。椅子とか照明とか作ったりしていましたね。で、その後日本に戻ってきて、WEBデザインの会社のtha(ティー・エイチ・エー)というところに入りまして、そこでは広告関係のFlashコンテンツをプログラムしたりしていました。
よ:その頃はデザインですよね?お仕事内容は。
ふ:そうですね。デザイン3:プログラム7ぐらいですかね。iPhoneとの出会いは本当に3Gが出た頃なので、今から丁度3年前くらいですね。普通に日本で並んで買って。で、これは面白いっていうことで、買って一週間しないうちにappleの開発ツールをダウンロードして、自分で色々作り始めてみたって感じでした。
よ: iPhoneのどこを面白いと感じたんでしょうか?
ふ:多分、大学で学んだ”最新機器でどう生活が変化するか”みたいな部分と、留学で学んだ”工業デザインの使い勝手とかユーザーインタフェース”のあたりと、会社で学んだ”Flashでキャッチーな動くものを作る”っていうのが全部合わさった、中間みたいな位置に、突然iPhoneがボーンッ!と現れたんですよね。なのでこれはちょっとやってみないとな。と思ったのが始めたきっかけでした。
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