おまけ
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◆メールをご紹介しましょう。

かな子さん(もうすぐ21歳!!!)
「私は少し前までは、放送に葉書を一生懸命送っている一人でした。
最近は、受身なリスナーになってしまっています。大好きなニッポン放送に、 頑張ってもらうためには、リスナーひとりひとりが、もっと積極的に ならなくてはいけないな、と思う今日この頃です。
マガジンでも話題になっていましたが、愛知万博に29日30日で、行ってきます!
女友達3人で、ワイワイです!!話題のサツキとメイの家も行って来ますよ〜。 もう、すっごく楽しみです。
行ってきたら、またメール送らせていただきますね。 これからも、リスナーに身近なラジオとメールを楽しみにしています☆」

☆ラジオは、パーソナルなメディアです。パーソナリティとリスナーさんを、 パーソナリティを介して、リスナーさんとリスナーさんをつなげます。 あなたの"たより"が頼りです。このメルマガも同じです。 どんどん参加してくださいね。
PS:愛・地球博レポート、楽しみにしています。


"大阪万博当時女子中学3年生でした"さん
「35年前に修学旅行で万博に行った事が思い出されます。当時、横浜市内の 中学では、奈良・京都が定番でした。その年は、+αで万博が予定に 組み込まれました。ただ、3年生(1級平均50人)の13クラス一緒に移動するのは 至難の業だった様です。
私たちグループ8人は、6帖間に押し込まれました。夜になって、仲居さんが、 お布団を敷きに来てくれましたが、まず6人分をセットし、 なぁ〜んとその布団の上に2人分を敷きはじめました。
私たちは、仲居さんに「後は、自分達でしますから」と帰って戴きました。
そして驚きは、翌日の朝食の時にも、やってきました。
大広間にお膳が沢山並べられていましたが、お給仕の仲居さんが、 お膳をまたいだのです。
私たちは、全員、謝って貰う迄、箸をつけませんでした。 今となっては、全部楽しい思い出話です。」

☆大阪万博といえば、1970年。当時日本は、高度成長期の頃ですね。
経済成長率が年平均10パーセントを越えた時期をさします。技術革新により、 日本中が、物を増やせ増やせのその一方、この様な、信じられない応対も あったんですね。でも、"大阪万博当時女子中学3年生でした"さんが とった態度は正しい。
修学旅行の学生さんたちは、りっぱなお客さんなんですから。


信一さん
「実は、私、消防団に入っているんですが、年に1回5月か、6月に "躁法大会"ていうのがあるんです。先日その練習に参加した時の事です。 こんなの「チョロイ」と思ってやってはみたものの、アレアレ???
体が全然動かない・・
自分ではまだ若いつもりでいたんですが、体は正直ですねぇ。 改めて自分の年齢を実感した瞬間でした。。。。」

☆"躁法大会"とは、消防技術を競う大会のことですね。
う〜ん、なかなか大変そうですね。日頃の訓練が、結果を残すのでしょうか。 まず、体力勝負とみました。信一さんも"年齢"なんて言わないでガンバ!


秀暢さん
「ヒロミンさん、いつもニッポン放送の情報ありがとうございます。 北海道でニッポン放送のリスナーになったのが37年前。 きっとヒロミンサンの生まれる前でしょうね。
高校の修学旅行のときに、有楽町そごうの前で、当時文通していた 都立高校生の久美子さんと待ち合わせをして、ニッポン放送を見学した という思い出があります。当時「ビバルーム」とかいうところがあって、 やさしいお姉さんが社内を案内してくれたと記憶しています。
また、大学入試が終わった後、京成お笑い10秒クイズに出て、 賞金をいただき、北海道に帰る寝台急券を買うことができたという 思い出もあります。」

☆懐かしの"ニッポン放送"メールありがとうございます。ラジオを通じて、 みなさん個々の思い出があるんですね。 それが、ラジオというメディアだと思います。
"ローマは1日にしてならず" 同様、"ラジオ文化は1日にしてならず" 築き上げてきものを、強引に右から左に移すことは出来ません。
今日も、また、ラジオを聴いて新しい思い出を作っているリスナーさんと 一緒に、私達もそこにいるんです。


沢山楽しいメールありがとうございます。う〜ん、紹介しきれなく て残念!採用できなかった方、ごめんなさい。次回も身の周りの出 来事などお知らせくださいね。楽しみにしています!ホントだよ。 ふつおた大歓迎!
採用させていただいた方には、あなたのお供に絶品! 「LF特製キーホルダー」をプレゼントします。ヒロミン。


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