あまおさん、そうダサいのよ・・・。

どうしたもんか、このセンス(笑)。

というわけで、キミの放送後記です。

本当にたくさんのメールありがとうございます!

 

ラジオネーム あまお 17歳 東京都

ボス、「夢中人」ってダサくないですか?(笑)

「オタク」よりもダサい気が・・・

でも、「自分は『夢中人』です」と胸を張って言えるようになりたい、そう思える放送でした。

私はお笑いとミッシェルガンエレファントをこよなく愛す女子高生です。

この趣味を友達に打ち明けたことはありません。ハマったきっかけはYouTubeでした。

中学生の頃からYouTubeが当たり前のようにあって、お金を出すほど好きじゃなくても気軽に家で見ることのできる環境でした。だから今の時代は良い、なんて話がよくありますが、ただ、私たちには無限の選択があったのです。何かのきっかけでアイドルにはまっていただろうし、何かのきっかけでアニメオタクになっていただろうし。もしかしたら何にも夢中になれなかったかも。

あの膨大な動画の中から今趣味にしてるものを見つけたことが奇跡のような気がします。

このラジオは第一回から聴いてますが、ゴッドタンのプロデューサーの佐久間さんが、ボスがパーソナリティーに決まって随分騒いでいたので気になったのがきっかけでした。思えばこのラジオを聴くことになったのも奇跡のような気がするのです。それまでラジオを聴いたことも、ダイノジのライブに行ったこともありませんでしたから。このラジオを十代のうちに聴ける子はうらやましい、という声をよく聞きます。教室の中のヒエラルキーから抜け出したとき、自分がこのラジオにどれだけ支えられていたか、わかるような気がします。

 

 

ラジオネーム まんじゅう子

プラダの女の旦那のボス、はじめましてこんばんは。田舎に住んでる、まんじゅう子と申します。

私は中学生の時から漫画家の「生活」に憧れて、書きたい物があるわけじゃないのに漫画家になるんだと強く思って生きてきました。

でも、たいした努力はしてこず、何回か投稿して落選する~を繰り返してきました。漫画を描くのが楽しい!という人や、10

代で漫画家デビューする人を見るたび、書きたいことがないのに漫画家になれるわけないと三十路まじかになり、やっと気付き始めました。

 

ボスはラジオで夢中なことがひとつあればとおっしゃられてますが、今の私にはそれがありません。最近までexo(えくそ)というK-popアイドルにどはまりして、久々に夢中になっていましたが、彼らの一挙手一同に「可愛い!!」「見るだけで仕事がんばれる!」というファンを見て、それに比べて私はなんてクズなの・・・と大好きな彼らを嫉妬の対象で見ることが多くなり、前ほど楽しんで見れなくなりました。ワンダーボーイズという大好きな映画があるのですが、主人公は一冊ヒット作を出したきりで次の作品が書けなくて、でもずっとだらだらと書くだけは書いているという初老の小説家で、ある男に今はどんな話を書いてるんだと聞かれ、うまく説明できないんだと答えます。

男が自分で説明できないような物なんで書いてるんだよと聞くと、主人公が「・・・やめられなかったんだ」と答えます。私はそもそも二本ほどしか長編漫画は描けてないし彼とはまったく違うけれど、10年ほど漫画家としての生活を送る自分を夢見て、イラストだけなら毎日書いてきて、その10年の思い込みのせいか、絵をかくことはやめられないんです。もう書くことが好きなのか嫌いなのかわからないんです。ボス、これは夢中と言えるんでしょうか?

書きたいものというか、こんな漫画読みたいなというのはぼんやりとですがあるので、それを描こうとはするんですが、そうするたびにぼんやりと霧がかかったみたいになって描きたかったことがわからなって苦しくなって描くのをやめる、やめた瞬間は楽になるけどなんで描けないんだとその後悩む。

こんなことを何度も繰り返して今に至ります。私もいい年だし、明確に書きたいことがない、努力もしていない、そもそも漫画家の生活が送りたいだけの人間が漫画家になれるわけもないことは分かってます。でもなぜか諦められないんです。いろんな職業に憧れては、でも無理だろうなと思ってきたけど漫画家だけは諦めきれない。だってぼんやりとでも描きたいことがあるんだもん!!でもそれを完璧に書き上げる画力無いし、じゃあ絵の練習しろよ!って話だけど練習嫌いだし!!という駄目人間だしでも描きたいし!!!!でえんえんと悩んでました。ボスのラジオが始まると知りすごく楽しみで毎回感動して、で先週の放送でつらくても毎日書いたり、作ったりしてネットにアップしろとボスの言葉を聞き、なんかもうやるしかねえなと思いました。クズはクズなりに悩むまえに行動だと。とは言ってもパソコン前だけの行動になるけど、私これから毎日絵描いて投稿サイトにアップします!下手って言われようが、同じ構図ばっかじゃねえかと言われようがそんなん知らん!!とにかく描きます!!とりあえずボスのラジオが最終回になるその日まで!!下手だろうが苦しかろうが私やるよボス!!だからラジオそこそこ長く続けてね!!

正直、ボスに「いやおまえそれ立派に夢中じゃねえかよ」的なお言葉いただきたいけど、たぶんすごい数のメールくるんだろうし読まれないと思うから内容めちゃくちゃになっちゃってすみません。ボスのラジオ熱いというより重いから、毎週聞くのしんどいかなと思ってたけど、聞くたびにやるぞ!ってなるから結局毎週の楽しみになってます。

おまえが言うなって話だけど、ボスは本当におもしろいしボスの言葉に救われている人は私を含めてたくさんいるとおもいます、いつも熱いラジオありがとうございます。長々とすみませんでした。

 

 

ラジオネーム 召喚魔法

ボス、こんばんは。桐島は最近ようやく観れて、とても印象に残っています。ボスの口から直接桐島評を聴けて嬉しかったです。あの屋上のシーンでは、ひとつのものに夢中になっているさえない映画部の生徒達が、桐島に振り回されているイケてる生徒の何倍も輝いて見えました。おそらくあの野球部の男子も、そのことに薄々気づいていたのではないかと思います。

そして、「何か一つでも夢中になれるものを見つけろ」という話ですが、とても心に響きました。せっかく大好きになったお笑いと音楽。本気でのめり込んで本気で語れるようにならないともったいないと思いました。今までは自分には無理だと躊躇していたのですが、その言葉で「世界へ向けて行動を起こせるオタク」になってやろうと心に決めました。このラジオを聴き始めてから、自分の周りの世界が、少しづつ変わっていってるような気がします。毎週のように、自分の知らない世界と、自分の知っている世界の別の見方を教えてくれるボスに感謝しています。

 

 

ラジオネーム:ノヒノヒ、

ダイノジ大谷さん、初めまして。ブッチャーズ吉村さんの訃報を知り、俺のブッチャーズの思い出を思い出せる限り思い出してツイッターに書いた後、ツイート検索して他の人のブッチャーズ吉村さんへの思い、思い出を読んで行く内にこの番組を知りました。このオールナイトニッポンの電波を借りて私が伝えたい事は「瞬間を逃すな、自分が好きな瞬間を逃すな」と言う事です。15年前、高校生でブッチャーズを知り、大学進学で上京し、2000年代一番多くライブに行ったバンドはブラッドサースティブッチャーズでした。2008年頃、私は宮城の実家に戻り、ライブに気軽に行ける機会が減ってしまい、ライブ情報を見てはモヤモヤするだけで行動に移せなかったのです。ブッチャーズは唯一無二のロックバンド、きっとまた見れる機会が自ずとやってくると盲信してました。しかし、もうやってこない。数日は耳鳴りが続くような爆音の中で叫ぶ吉村さんの歌声を体験する事は出来ない。体力的、経済的に無茶をする努力をしなかった事を後悔してます。金を払って足を運んで、自分の体に直に気持ちをぶつけられる体験から得られる物、感じた瞬間は何物にも変え難い自分の心の核に迫るものだと思います。大谷さん、ライブ、て本当に素敵ですよね。あと、パンクロック最高、ブラッドサースティブッチャーズ最高。

 

 

P.N さわりん

 

夜中、何もする気力が無い時に、何となくつけたラジオで大谷さんが、ゾンビ論を話していました。

聴くほどに無気力な眠気から覚めていき、話に引き込まれていきました。

夢中になれるモノを持っている人は、カッコいい。

周りの雑音など、どこ吹く風。その人だけの道を行く。

野垂れ死にしたとしても、安く定まった人生を正しいと自分に言い聞かせて歩くよりマシだ。

全ての人間の結果は、行き着く最期は、死なのだから、誇れる何かに夢中になりたい。

僕は前の仕事をやめた時に自分の人生に納得したいと強く想い、何が出来るか探そうと決めました。今でもまだ探しています。今の生活に疑問や不安を持ちながら、でも自分の生きたい人生を見つけたくて、どうしたら良いのか葛藤する時もあります。

僕自身もロックが生きる指針です。「世界とケンカ出来る何か」、「声を出さないといつの間にか死んでしまう」、「抵抗したくて生きていく」、その言葉達にに目頭が熱くなりました。

良い歳にもなって夢ばかり見ていた僕にとって、これからも夢を忘れない事の大切さを自分の中に刻み込む事が出来た大事な日になりました!

大谷さんのラジオを、今この時に聴けてホントに感謝します!ありがとうございます!

これからもいつまでもオンリーワンで顔晴れやかに顔晴ってください!僕も顔晴ります!

 

 

さて、今週6月5日(水曜)の熱は、大谷41歳生誕祭SP!「銀座7丁目劇場 禊」。

銀座7丁目劇場とは、かつて吉本興業が運営していた劇場の名。

ダイノジはもちろんのこと、極楽とんぼ、ココリコ、ロンドンブーツ1号2号、ペナルティ、

品川庄司などが立っていた伝説の劇場。

この劇場での光と影を、大谷さんの自分史と重ねながらお届け。

当時、大谷さんは、どんな洋楽を聴いていたのでしょうか...。

6月8日に41歳を迎える大谷さんが20代のウミを全て出し切ります!

 

生放送ならではの企画、「銀座7丁目劇場に立った事がある芸人さん、もしくは、この番組を

よく聴く芸人さん」、深夜2時30分頃、ニッポン放送に来て頂けないでしょうか?

バースデーケーキ作って待ってます!

 

メールテーマは「謝りたいけど謝れない」

キミが猛省していることを送って来て下さい。

netsu@allnightnippon.com