工藤大輝が語る、相次ぐアイドルの“解散”

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【月イチ連載コラム:工藤大輝と偶像音楽論(通算 第23回)】

工藤大輝が語る、相次ぐアイドルの“解散”

解散が多すぎる。

解散と卒業というのは似てるようで少し違います。
解散というのは正式な後輩グループでも出てこないかぎり歴代のリリース楽曲を二度と生で聴けることがなくなってしまう悲しさがある。卒業はメンバーが入れ替わって再度聴ける可能性がある代わりにオリジナルメンバーではない部分に物足りなさを感じたりという辛さもあります。どっちのほうが、とかそういう事を言うつもりはありません。どちらもその対象となる人のファンであれば悲しく辛いのだから。

先日Cheeky Paradeさんの解散ライブに行きました。
こんなにあっさりと幕は閉じられるのか、と項垂れた。意図的にかもしれませんが、ダブルアンコールが無かったこと、センターのお立ち台にマイクを置いてステージから名残惜しくも去ったメンバー達、会場を後にするファンの方々の全員が完全にいなくなる前に消えてしまったマイクを照らすピンスポット。

様々な理由を経ての結果だし、誰が悪いとは言わない、が、やはり違和感は感じたし、始まりと終わりの温度差を嫌という程に感じました。

もう死語になってしまった「アイドル戦国時代」は終わり、いわば「幕末」に突入し、その移り変わりを感じずにはいられません。およそ7年〜8年前に突如現れたアイドルブームに乗っかり、様々な大手メジャーレーベルやマネージメントがアイドルに着手し始めます。これがおそらく戦国時代の始まりだと思います。インディーや地下系が盛り上がってくるのはこのもう少し後。

そこから数年、宣伝費、制作費、人件費、などなどを賄い且つ黒字を出すということと、メンバー達のモチベーションを保ち続ける難しさが露呈、プロジェクトとして体力不足になっていき、メンバーもその間に年齢を重ね将来に向き合いはじめる。その結果少しずつ擦り切れていって綻びが生じる。ポジティブなパターンとネガティブなパターンがありますが、大枠こういった流れになってしまっていると考えます。

CDが売れなくなった今、物販と特典だけでは持続できない。これは逃げようのない事実で、そういった意味では時代背景も逆風になっているように思います。起業家アイドルや、プロデューサー兼任、副業アイドル、増えていますが当然の流れで、むしろ副業という言葉自体取っ払ったほうがいいんじゃないでしょうか。シンデレラストーリーが存在するとしたら、ガラスの靴は置いた場所を教えて拾わせるのではなく、自力でヒントを得て見つけた人にしか当てはまらなくなってしまったんでしょう。

話が逸れましたが、ベビレ、ぱすぽ&ぷちぱすぽにチキパにGEM、アイルネ、ベポガ、相次いで終わっていく様を見るのは本当に心苦しいですが、最終的に僕がいち「ファン」としてできることは、終わってしまうその瞬間まで応援することしかないのです。

いつか行けたら、は叶わなくなります。
行けるなら今、会いにいきましょう。

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