【1】好き蔵&飯田アナの”競馬予想対決”実現か?
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このコーナーは、ニッポン放送の番組プロデューサーやディレクター、
またパーソナリティの方に生の声をお聞きするインタビューゾーン。

今回お話を聞いたのは、
ニッポン放送2007年イチ押し!の飯田浩司アナウンサーです。


-2006年を振り返っていかがでしたか?

飯田「色々な部分で転機になった年です。

これまではレポーターの仕事で外まわりをしたり、
土日の”ショウアップナイターハイライト”で
スタジオの仕事を勉強したりしていました。

10月からは清水ミチコさんのアシスタントや、
小倉さんの中継コーナーなど、
全く話した事のなかった人達と番組ができて嬉しかったです。

スタジオの仕事が増えていく内に”物事こういう見方もあるのか!”
と感じる事も多かったですしね」


-最近はすっかり土曜日午後の顔となった飯田アナ。
まずは「ミッチャン・インポッシブル」について伺っていきます。
スタートして3ヶ月近くですが、ここまではいかがですか?

飯田「先輩アナウンサーに
”ミッチャンと番組やってる時って非常に楽しそうネ!”
と言われました。

確かにゲラゲラ笑っているうちに番組は終わってしまいます。
番組に遊びに行っているような感覚になれるんですよ!

以前に”クリスマスプレゼントを特捜せよ”
という企画があったんですけど、
”飯田だったら何が欲しい?”とディレクターに聞かれて
飛行機が趣味なので模型屋さんに行って取材してきました。

”これが仕事なのか?”と思える程楽しい番組です」


-パーソナリティの清水ミチコさんはどんな人ですか?

飯田「繊細な方です。凄く周りに気を遣ってくれるんですよ!

放送だけ聴いていると、清水さんってクールな人かと思われますけど、
そんな事は全くないです。

放送後は”ちょっと冷たすぎたかしら?”
とフォローしていただいてます。

でも僕がツッコミを入れるくらいじゃないとダメなんでしょうね。
全て清水さんにリードしてもらっている感じですから。

何を言ってもすぐにツッコんでくださるので、
”自分は何をしゃべってもいいんだ!”
と凄く楽な気持ちになれます」


-「小倉智昭のラジオサーキット」では中継コーナーを担当されています。
訪れた先で特に思い出深かった場所はどこですか?

飯田「渋谷ですね。

このコーナーでは、その街に一番詳しい人に出演していただいて
”昔はこうだったけど今はこうなんだ”と説明してもらっているんですが、
この渋谷の回は違いました。

クラシック音楽を大音量で聞かせてくれる
”名曲喫茶ライオン”という有名なお店があるんですが、
そこの奥さんに本番中にインタビューする予定が、
”急に旦那が倒れたから病院に行かなくてはいけない”
と出演がキャンセルになったんです。

それでどうしたかと言うと、渋谷を探索していく内に、
”偶然、名曲喫茶ライオンを見つけた”
という様な構成に変えました。

道中ストリップ劇場やラブホテルなどがあって、それを中継に入れたら
スタジオの小倉さんとうまく掛け合いができたんですよ!

小倉さんが鶴光師匠のモノマネで、
”うぐいす谷ミュージックホール”のイントロの様に
”踊り子さんには触れないで下さい”
というようなアドリブを入れていただいて凄く楽しい中継ができました。

これがキッカケで、遠い存在だった小倉さんとの距離が
少し縮まったような気がしました」


-以前、ラジオサーキットの担当ディレクターにお話を伺った時、
”飯田アナの取材力は凄い!”と褒めていましたよ。

飯田「ありがとうございます。

僕の中のイメージは”アド街ック天国”だったので
街の歴史を探るみたいな事は昔から好きだったんです。
その辺が”ミニうえやなぎ”なんて言われる所以ですかね。

しかしうえやなぎさんは本当に凄いです!
ミュージックソンを24時間完走して、
翌日朝6時出社でサプライズの本番ですから。

朝6時頃なんて僕は家で熟睡してましたよ!」


-そして飯田さんがパーソナリティを担当している
水曜日の「ブロードバンド!ニッポン」。
これまでを振り返っていかがですか?

飯田「最初は吉田尚記アナの代役だったんです。
入社2年目の9月くらいからパーソナリティになりました。

スタジオで3時間なんてしゃべった事がなかったので、
”できんのか俺”と最初は思っていました。

毎週違ったグラビアアイドルがアシスタントを務めてくれるんですが、
1年経つと2回目、3回目という人も出てきて最初の時と比べて
ビッグになっていたりすると”スゲエな!”と思います。

年下の人がほとんどなんですけど、
彼女たちから教わる事はたくさんあります」


-以前、過去に飯田さんのブロードバンドニッポンを担当していた
ディレクターにお話をうかがった時に、
”グラビアアイドルによって応対が違う”と言っていました。

飯田「そのディレクターから
”ツッコんでくれるアイドルだと、飯田君はイキイキしてるね”
とメールが来たんですよ。
確かにそういう所はあります。

トークがスムーズに行っている時は凄くいい気持ちなんですけど、
話しかけてもちょこちょこしか答えが返ってこないと
”どうしよう”と思って、自分の話をしてしまいます」


-飯田アナは競馬好きと聞いています。私、好き蔵も顔負けだとか。

飯田「ダービースタリオンっていう競走馬の育成ゲームがありますよね。
僕はまさに”ダビスタ世代”なんですよ。
これをやり始めたのが競馬にはまったキッカケです。

ちょうど僕の通っていた中学校の国語教師が競馬好きで
話をしている内に”競馬の本でも読んでみろ”と言われました。

それである日、”読書感想文を出せ”と言われて、
今のディープインパクトくらいのアイドルホースだった
オグリキャップの事を書いたんです。

そうしたらたまたまその国語教師が市のコンクールの選考委員で、
僕の感想文を応募しちゃったんです。
結局出せばもらえるという佳作をもらったんですけどね。

その教師には何度か競馬場に連れて行ってもらって
本格的に競馬が好きになりました。

それで競馬中継を見たり聞いたりしているうちに
”自分もあんな風にしゃべってみたいな”と感じるようになりました」


-競馬通の飯田アナから見て、
昨年引退したディープインパクトはいかがでしたか?

飯田「確かに強い馬でしたが、
オグリキャップ、古くはトウショウボーイの時のように
これといったライバルがいなかったですよね。

何年か経って”思い出の有馬記念は?”と街頭で聞いた時に
何人がディープのレースを挙げるでしょうか?

兄弟対決でも実現していれば面白かったのに」


-今年の抱負を聞かせてください。

飯田「2006年が変化の年だったので、今年は足場固めをしたいです。

実は僕、ここだけの話、スポーツアナウンサー希望なんです。
学生時代は競馬の実況アナウンサーを目指す学校とかにも
行ってましたから」


-最後に新年第1回目のメルマガなので、
読者の皆さんへアナウンサーを代表してご挨拶をお願いします。

飯田「皆様、新年明けましておめでとうございます。
2007年が皆様にとって素敵な年でありますように!

ニッポン放送の様々なアナウンサー、レポーター、
パーソナリティ、スタッフの皆さんが2007年もがんばっていきますので、
皆様の変わらぬご愛顧をお願いいたします。

それからミュージックソンの募金を今月31日まで受け付けていますので
そちらの方もご協力をお願いいたします」


次回は、
「のってけラジオ」のレポーター、そして土曜日「ブロードバンド!ニッポン」担当の
上田郁代ちゃんが登場します。

オンエア上からは全く想像のつかない、隠された郁代ちゃんの素顔とは?
お楽しみに!

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