福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル 魂のラジオ 毎週土曜日23時30分から25時までオンエアー。
魂ラジブログ
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4月10日 小原信治の草の根広告社
『3年振りの』
 
 週末、福山さんにとって13年振りとなる東京ドームでのステージをお手伝いさせて頂いた。前回は客席で観ていただけだったので、僕にとってはスタッフとして初めての、そして一番でっかい会場だ。

 会場入りした時には改めて「でかいなあ」と感じた空間だったけれど、初日に客席が埋まり、福山さんがステージパフォーマンスを始めた頃には、そして、最終日が終わる頃には、もはやアリーナクラスのような距離感にさえなっていた。

 ドームの大きさに目が慣れただけじゃない。あきらかに福山さんのパフォーマンスと存在感がそう感じさせたんだと思う。前回のツアーから3年の間に、海外の映画祭などでアジアを始めとする各国の表舞台に立った経験もあるのだろう。そして何より、ニューアルバム「HUMAN」の楽曲たちがそう感じさせているのだろう。
 とはいえ始まったばかりなので、ドームライブについてはこのくらいで筆を置こう。

 さて、来週からはいよいよ3年振りのツアー(東京を出るという意味での)が始まる。そういえば、前回のツアーがあった3年前の昨日4月9日は「I’m with U キミと24時間ラジオ」の放送日だった。魂ラジの時間に放送したラジオを通じてのあのライブから、震災で止まっていた「ライブ」が再開した。止まっていたツアーも再び動き出した。

 あれから3年。もうずっと昔のような気もするけれど、東北の今の風景の中には、まだ昨日のことのように感じるところもたくさんある。そんな中で始まる3年振りの旅。大阪、名古屋、福岡、札幌、埼玉。どんな旅になるんだろう。

「今、元気な人は、今までやっていたことを、今まで以上に元気にやる」
 3年前のあの言葉を改めて胸に刻みつけながら、あたらしい旅の支度を始めよう。

小原信治
投稿時間:2014-04-10 19:24:04
 
4月3日 小原信治の草の根広告社
『HUMAN』
 
 あたらしいアルバム『HUMAN』が、昨日ついに発表された。

 書き下ろしのDISC.1を初めて通して聴いたとき、今までの作品の中で一番「『福山雅治』らしくない」と思ったと同時に、今までの作品の中で一番「『福山さん』らしい」と感じた。そう、大スターではなく、僕らがこの魂ラジで感じている『福山さん』というパーソナルだ。
 
「2014年、東京で生きる長崎出身の45歳の自分としては…」
 「HUMAN」や「暁」を宇宙初ぶっかけした時にラジオで語っていたそんな思いを「こんな風に作品に落とし込んだのか!」と、そして「こうつながっているのか!」と本当に膝を打ってしまった。好みの曲だけをリピートできたり、シャッフルできたりするCDというものがなかった時代に、針を落として初めから終わりまでを通して聴いていた、LP盤の作品のような感触だった。
 
 今週のことだ。心地良い春風の中、『HUMAN』を聴きながらいつものように海沿いを走っていたとき、ふいに、脳内に仕舞い込まれていたであろう、ある人の言葉が降りて来た。
「今までと同じようなファンタジーはもう作れないと思った」
 映画『風立ちぬ』を発表した時の、宮崎駿監督の言葉だった。
「今こそ等身大の人間を描かなければ」
 311の後に発表されたその映画は、これまでのようなファンタジー要素のない、史実を元にした作品だった。

 過去を歌っているのに、未来を感じる。

 アルバムを通して聴いた時に感じる、そんな「うまく言語化できない不思議な読後感」を、映画『風立ちぬ』を観た時にも感じたことを思い出した。そういえば、あの作品も、宮崎監督が以前から個人的な趣味として連載していた漫画が根底にあった。

 アーティストの同時代感というものに、思わず鳥肌が立った。


 アルバム『HUMAN』
 あなたはどんな感想を持ちましたか?質問などとともに、魂ラジまで送って下さい。
 メールは
 masha@allnightnippon.com


 いよいよ週末から、ドーム始まります!

小原信治
投稿時間:2014-04-03 13:38:09
 
3月28日 小原信治の草の根広告社
『あたらしい春』

 「新生活」という言葉で真っ先に思い出すのは、大学卒業後に迎えた、初めての春のことだ。同じ年の社会人一年生たちが真新しいスーツで満員電車に揺られ、一斉に社会へと出てゆくという朝、僕は当時住んでいた武蔵小杉のマンションであくびしながら洗濯機を回していた。教員や銀行員として社会に巣立って行った数少ない同級生たちの顔を思い浮かべながら、とてつもない自由を手に入れてしまった喜びと、とてつもない不安を感じたことを、今もはっきりと憶えている。学生時代にアルバイト気分で始めた放送作家を卒業後も続けてゆくことにした僕には、定時に出社を求められるような場所はなかったのだ。のろまな日溜まりの中で洗濯機を回した後、近所の喫茶店でモーニングを食べながら、午後からの番組会議に出すネタやコントの台本を家でちまちまと書くというのが、当時の僕の1日の始まりだった。

 そんな、一年中が毎日宿題のある夏休みと、文化祭の連続みたいな生活を続けて、気がつけばもう24年が経つ。相変わらず何の保証もない自分の未来に対して、とてつもない不安はあるけれど、相変わらずあのあたらしい春の日のような、とてつもない自由もある。
 そして、また、あたらしい春が来る。

 今年の春は8日後に幕を開ける福山さんのドームツアーを目前に控え、忙しくも充実した日々を過ごさせて頂いています。ここから先、魂ラジはLOCK ONが続くであろうと思われるので、この場をお借りしまして、皆様からのメールなどを緊急募集させて下さい。

○「福山雅治最後の楽園をゆく」「笑っていいとも」などを御覧になった感想や質問。
○ニューアルバム『HUMAN』の収録楽曲に対する感想や質問、さらにはタイトルだけが発表されている楽曲について「こんな曲なんじゃな
 いか?」と浮かんだあなたの妄想。
○あたらしい春にスタートする新生活に対する相談や不安。
○フツオタ
 等々、番組を盛り上げてくれるものなら何でも結構です。

 メールは
 masha@allnightnippon.com
 たくさんの緊急メールお待ちしています!

小原信治
投稿時間:2014-03-28 00:18:47
 
3月20日 小原信治の草の根広告社
『停電したので、手書きしてみた。』
 
 停電した。
 今朝方、原稿を書いていたら、突然画面が一段階暗くなった。70年代までだったら何を言っているのかわからなかっただろう。パソコンで書いていたのだ。聴いていたネットラジオも、スタンドライトも消えていた。ほんの少し前にスイッチを入れたコーヒーメーカーも芳ばしい匂いを立て始めただけで仕事を中断していた。

 窓の外を見ると、信号も消えているようだ。この辺りでは唯一のネオンを放っているコンビニの明かりも消えている。

 すぐに復旧するかなと思い、時間潰しにスマホのツイッターで情報収集をしてみたけれど、原因や復旧のメドはもちろん停電の規模さえも分からない。長引いて充電が切れたら困るなと思い「停電」とツイートしただけでスリープさせた。
 
 停止してしまった冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してひと口飲んだ。喉を鳴らすゴクリという音が響き渡るくらい部屋が静かなことに気づいた。信号が停まっているせいか、時折り聞こえてくる自動車の走行音もしない。天気のわりには海も穏やかで波の音も聞こえない。まるで時間まで止まってしまっているみたいだった。

 瞑想でもしてみようかと思ったけれど、あいにくそんな暇もない。かといってバッテリーの残量で原稿の続きを書いているうちに充電が切れてしまっても困るだろうと思い、仕事を中断して、このBlogを書き始めた。

 何十年振りかの、原稿用紙に手書きだ。20歳で放送作家になったばかりの頃は手書きだった。ネタや企画書はA4のレポート用紙に。台本は「テレ原」と呼ばれる専用の原稿用紙に。ちょっと長い文章は400字詰めに。先輩に「放送作家はおもしろそうな字を書かなきゃダメだ」と教えられて、当時の女子高生が書いていた丸文字を真似ているうちに人から「へんなの」と言われる今の字になった。6・3・3の学校教育で習得した普通の字はどこかへ消えてしまった。

 とはいえ久々なのでやっぱりワープロで書いているようには筆が進まない。
ここまで書くのにいつもの倍以上かかっている。昔はこれで普通に書いていたのになあと溜め息をつく。電気のない不便さを改めて感じながら、同時に「便利なものだけが、こうした不便さを生む」ということも強く思った。

 電気、ガス、水道、車、パソコン、携帯電話、インターネット等々、みんな昔はなかった便利なものだ。でも、便利じゃなかった代わりにそれが当たり前の世の中ではさほど不便さも感じていなかったんじゃないだろうか。少なくとも携帯電話のない時代を知っている世代としては、携帯のなかった時代に不便さを感じたこともなかった。そりゃそうだろう、ないのが当たり前だったわけだし、「必要は発明の母」というくらいで、その不便さを強く感じていたら、僕自身が携帯電話を発明していたっておかしくないかもしれない(というのは言い過ぎだけど)。

 何があるか分からない時代だ。今当たり前にあるものが、いつ当たり前じゃなくなるか分からないことを僕らは3年前にも経験した。嫌というほど。
 
 もちろん便利なものを捨ててしまうのは不可能だけれど、たまには便利なものがなくなった時の不便さにも慣れておくことも必要かもしれないとこういうとき、改めて思う。あくまで命にかかわらない避難訓練的な備えとしてだけど。
便利なものがあるのが当たり前だからこそ、それを失っても生き伸びていけるサバイバル能力やそれがない不便さも楽しめる力を忘れずに持っておくことも必要なんじゃないかと、停電の静けさの中で改めて感じた。

 とここまで書いて、とても大事なことに気づいた。この原稿は電気を使ってインターネットに繋がらないと更新することができないのだ。

 THE END.

もはや手も足も出ないと、諦めて窓の外をみる。車も殆ど走ってない。小雨が降っている。静かな海だけが広がっている。昔はこんなに静かだったんだな、と100年前の人々の暮らしに思いを馳せた。
 
 と、そのタイミングで芳ばしい匂いが漂ってきた。コーヒーメーカーが仕事を始めたのだ。灯りがともり、聞こえないようで実は聞こえている「電気の音」が静かだった部屋に戻っていた。

 約1時間半、およそ1200世帯が停電していたそうだ。原因はなんと電柱に作られた「カラスの巣」。なんでも春先から初夏にかけて高いところに巣作りをするカラスは、素材に木の枝やどこからか拾ってきたハンガーなどの針金を使うのだそうで、それが電柱に作られると、針金が電線に触れ、停電の原因となってしまうのだという。
 カラスの巣ひとつで1200世帯の日常生活が中断させられてしまうなんて、僕らの文明はなんて脆いものなのかと、不謹慎にも笑ってしまった。

 そういえば、昨日、遠い北海道の海では殖えすぎたアザラシが漁業資源となっている魚を食べ荒らし、サケだけで4000万円の損害が出ているというニュースを見た。地元の漁業関係者たちはアザラシを駆除したいが、ゼニガタアザラシという絶滅危惧種に指定された生き物である為、これまで手が出せなかった。それが昨日の閣議で「絶滅危惧種からの解除」を視野に入れた再評価を2015年度末までに行うという方針が明らかになったのだそうだ。
「人間と絶滅危惧種とが同じ食料を巡って生存競争しなければならない、初めてのケースかもしれない」
 見識者のそんな言葉がとても印象的だった。

 僕らは他の生き物とともに一緒に生きているんだな、ということを改めて実感させられた停電だった。

 とりあえず僕は、手書きでもワープロと同じ早さで原稿が書ける自分を取り戻すことにしよう。

小原信治

投稿時間:2014-03-20 19:36:55
 
3月13日 小原信治の草の根広告社
『40年後』

3年前、噛み締めた無力感を今も憶えているだろうか?
2年前、何度、世の中に絶望しただろう?
1年前、何もできない自分に何度失望しただろう?

今年、以前のような笑顔にいくつ出逢うことができるだろう?

1年後、この海辺を新しい家族と歩いているだろうか?
2年後、風評被害なんて言葉はとっくに忘れ去られているだろうか?
3年後、あの海岸線にも実りの秋は戻っているだろうか?
4年後、牛たちはまだ誰もいない大地で風に吹かれているのだろうか?
5年後、どれほどの人が納得の行く暮らしを手にしているのだろう?
6年後、東京オリンピックは東北の希望になれているだろうか?
7年後、祖父母の願いを裏切ってはいないだろうか?
8年後、自己満足以上の何かができているだろうか?
9年後、絶望と失望の数よりも希望はあるだろうか?
10年後、大切な人の笑顔を守ることはできているだろうか?
11年後、僕らの畑の自給率は上がっているだろうか?
12年後、この海はまだ恵みをもたらしてくれているだろうか?
13年後、この山はまだ恵みをもたらしてくれているだろうか?
14年後、あの町から総理大臣は生まれただろうか?
15年後、両親の想いを少しは理解できているだろうか?
16年後、赤い皮ジャンで笑っているだろうか?
17年後、あの日生まれた子供たちはどんな大人になっているのだろう?
18年後、今、当たり前にあるものは、まだ当たり前のようにあるだろうか?
19年後、空想は現実になっているだろうか?
20年後、僕らは山と海の恵みでエネルギーを地産地消できているだろうか?
21年後、お金を回し続ける生き方から自由になれているだろうか?
22年後、望む誰もが大好きなあの海を見て暮らしているだろうか?
23年後、涙はもう乾いただろうか?
24年後、忘れられただろうか?
25年後、忘れてはいないだろうか?
26年後、油断してはいないだろうか?
27年後、あの日の選択は正しかったと胸を張れているだろうか?
28年後、ところで、新しいエネルギーは生まれたのだろうか?
29年後、子供たちに自分たちの過去を責められてはいないだろうか?
30年後、子や孫は元気に砂浜を駆け回っているだろうか?
31年後、孫には甘い年寄りになれているだろうか?
32年後、知らない世代にも伝えることができているだろうか?
33年後、若い頃の仲間と昔話をしながら飲む酒はどんな味だろう?
34年後、死ぬ前にもう一度逢いたいのは誰だろう?
35年後、死ぬ前に聴きたい歌は何だろう?
36年後、死ぬ前の「ありがとう」と「ごめんなさい」はどれくらあるだろう?
37年後、命が消えた後も輝き続ける何かをひとつくらい残せているだろうか?
38年後、とか言いながら、しぶとく生きているだろうか?
39年後、大好きな海はまだ、美しいままだろうか?
40年後、すべてが収束した夜、日本中の人たちとともに喜びあえているだろうか?
     世界中から鳴り止まない拍手は届いているだろうか?

その夜、40年以上消えることなく、
時に怒りや悲しみや絶望や失望の種となり続けたであろう「この無力感」も、
ようやくゼロになるのだろうか?

                      2013年3月13日 小原信治(44歳)
投稿時間:2014-03-13 22:30:00
 
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