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5月23日 小原信治の草の根広告社
『そして父になる』
 
 右も左も分からぬままこの世界に入ってしばらくした頃、自分なりに感じたのが「この仕事はビンに詰めた手紙を海に流すようなものなのかもしれない」ということだった。
 自分がどこかの誰かに宛てて書いた手紙という名の作品が、名前も知らないどこかの海岸に流れ着き、偶然拾ってくれた誰かの心に届く。いや、届くといいな。いつも心のどこかにそんな願いを抱きながら、言葉を紡いで来た。これを書いている今だってそうだ。

 カンヌ国際映画祭での10分以上のスタンディングオベーション。鳴り止まない拍手の中、福山さんが目尻を拭う姿を日本で見ながら、改めてそのことを思い出した。
「あぁ、届いたなあという感激があった」
 是枝裕和監督もそうコメントしていたけれど、福山さんを始めとする出演者の方々やスタッフ・関係者の方々のみならず、その映像を見ていた多くの日本人もまたその「届いたという事実」に思い思いの感動を抱いたに違いないと思った。

 常に新しいことにチャレンジし続け、結果を出し続ける福山さんにはいつも驚かされるばかりだけど、今回のは驚くなんていうどころではなく、僕なんかの想像を遥かに超えていた。

 そんなタイミングで発売されていた雑誌「CUT」のページを捲ると、渋谷陽一さんを相手に、デビュー前からの足跡を今までにないくらい、赤裸々なディティールで語りおろしている福山さんがいた。書き起こされた3万字もの言葉を熟読し、このタイミングだったからこそ、ここまで話したのかもしれないと感じたのはきっと僕だけじゃないだろう。

 それでも、話しているのは、カンヌに行く前のすでに過去の福山さんだ。是枝監督や共演者の方々と紡いだ手紙という名の作品が、言葉の壁を越えた世界中の誰かに届いたことを、10分以上のスタンディングオベーションで味わった福山さんは、その余韻に浸ることなく、すでにさらなる進化へと走り始めているのだろう。

 カンヌでの一連の福山さんの姿を、驚きと喜び、そして、うまく言葉にできない悔しさとで見続けた、個人的にも忘れ得ぬ一週間だった。週末、帰って来た福山さんの生の声を日本中に届けることができることが、今はとても嬉しく、待ち遠しい。

小原信治
投稿時間:2013-05-24 00:01:19
 
5月16日 小原信治の草の根広告社
『週末の乾杯。』

 夏も大好きだけど、5月も大好きだ。
 太陽は激しく照りつける夏のそれと比べると、ちょっと物足りないけれど、風は湿気のない5月の方が断然心地良い。

 そんな風薫る5月のもうひとつの贅沢が「空豆」だ。緑色の大きな房を開くと、2つから3つのおいしそうな豆が顔を出す、そして空に向かってふっくらした実をつける姿が清々しい、あの「空豆」だ。

 この数年、たくさんの農家さんから話を聞いたり、自分でも畑をやったりしているうちに、同じ野菜にも「儲かる作物」と「儲からない作物」があることが薄々分かって来たけれど、たぶん「空豆」は儲からない作物のひとつなんじゃないだろうか。

 何しろ旬がたったの2週間しかない。旬が短いということは、収穫期間が短いということだ。つまり、お金になる期間も短いということだ。しかも、ある程度の大きさになるので、栽培にもそれなりの農地を必要とする。その畑を種を蒔く秋頃から収穫が終わるまで、たった2週間の収穫期の為に空けておかなければならないわけだから、すこぶるコストパフォーマンスが悪い。だから、スーパーなどで買おうとすると、とても高いんだそうだ。なのに房の大きさの割に食べられる場所は少ないから、より割高感がある。

 とは言うものの、5月が空豆の旬だなんてことすら、以前の僕は知らなかった。スーパーで空豆を買って食べるようなこともたぶんなかった。
 毎年5月になると空豆が食べたくなるようになったのは、数年前においしい空豆を育てている農家さんと交流を持つようになってからだ。

 このBlogにも何度も登場している、千葉の「農園ゆう」さん。かしこおばあちゃんとそのご家族の畑だ。こちらの空豆は「空豆のふとん」とおばあちゃんたちが呼ぶ「鞘の中綿」が見た事もないくらいふかふかしていて、開くととても気持ちよさそうに眠っていた、ぷっくり太った大粒の豆たちが顔を出すというう最高の逸品なのだ。

 先日そちらにあろうことかその貴重な空豆を「今年はいつもよりちょっと多めに食べたいんですけど」と調子に乗ってお願いした。すっかり忘れていたが、僕らの「たくさん」と農家さんの「たくさん」には大きなズレがある。

 案の定、翌日には採れたての空豆が見たことないくらい大量に届けられた。あんまり多いので重さを測ったら3sを越えていた。

 先日取材させて頂いた「日本そら豆の会」というNPOの方が「5月の楽しみは空豆の大人喰いなんです」とおっしゃっていたけれど、まさにそれだ。これを贅沢と呼ばずして何が贅沢だろう。

 週末は、海の見えるビアガーデンと化す自宅のベランダで、鞘ごと炭火で焼いた空豆をお腹がいっぱいになるまで頬張りながら、キンキンに冷えたスーパードライで、大好きな5月と荘口さんのバースデー、そして、カンヌ映画祭という世界の舞台に立つ福山さんに、乾杯しよう(^o^)

小原信治

投稿時間:2013-05-16 20:58:13
 
5月9日 小原信治の草の根広告社
「続・福島は生きている」
 
 奥会津で僕を待っていたのは、震災でも原発事故でもない、2011年に福島を襲った「報道されない3つ目の傷跡」だった。

 ゴールデンウイーク真っ直中の先週、僕はこのblogを福島県は会津坂下という町で書いていた。東日本大震災の起きた2011年、ニッポン放送で日曜の朝6時から放送している『The Voice of Farmers』という農家さんと野菜パテシェの柿沢安耶さんのトーク番組で電話ゲストに迎えて以来交流のある、福島県は奥会津で、”食べた人を感動させるにんにく”を「趣味」で栽培している山内さんにお会いする為だ。

 あえて「趣味」でと書いた通り、山内さんはいわゆるプロの農家さんではない。後述する本業の傍ら、自生する山菜やキノコを求めて山歩きをしたり、豊かな水源を持つ奥会津で川魚を釣るのと同様に、自らの舌を満足させるべく、青森は田子町から取り寄せた国産ブランドにんにく「ホワイト六片」を独自の栽培法でさらにおいしく育てている趣味人であり、美食家である。

 知り合って2年、山内さんは電話で話しただけで一度もお会いしたことのない僕に、その感動的なにんにくをはじめ、山で採取した天然のキノコや、こちらも「趣味で!」巣箱を作って自家採取した天然の蜂蜜などの、文字通りの「山の幸」を送って下さっていたのだ。すべてがお返しに値する言葉や品もないくらい感動的な味だったが、唯一心苦しかったのは、道の駅の施設で測った「放射線量」に関する書類をわざわざ同封して下さっていたことだ。いつも「気にしないで下さい」と言うのに、だ。もちろん書類にも証明されているように、現代医学における価値観で言えば数値的に人体への影響はない。でも、ぶっちゃけ「数値上の安全」なんて僕にはどうでも良かった。美食家の山内さんが「趣味」で「自分が食べる為に採取したり、栽培したりしているもの」が食べられないはずはないという「安心」がそこにはあったからだ。

 そんな交流を続けて2年。ようやく訪れたのが、今回の遅すぎる初対面だった。

 「お互い顔もわからんのにピンと来るもんだねえ」と待ち合わせたコンビニの駐車場で恥ずかしそうに笑った山内さん。最初に案内してくれた、赤べこ発祥の地「柳津町」にある、只見川を望む神社の境内でさりげなく聞かせてくれたのが『会津の三泣き』という話だった。会津人と会った誰もが、「最初は会津の人が人見知りであることに泣き」、「二度目は会津の人のおもてなしに泣き」、「最後は別れが辛くて泣く」のだという。
 そんな昔からの言い伝え通り、その話は、この旅で現実となった。「最初の人見知りで泣く」はともかくとして。

 前日に会津入りし、馬刺しの発祥の地という会津坂下の町で一泊。その夜、地元の居酒屋で「馬刺ししゃぶしゃぶ」と山菜「こごみのゴマ和え」を肴に「出会い」という銘柄のそば焼酎(絶品!)をたらふく飲んだのも幸いしたのか、生まれて初めての会津の旅は、山内さんの泣けるくらいの「おもてなし」のおかげで新鮮で素敵な、そして、物書きを生業としている僕にとって、血肉となる出会いの連続だった。

 山内さんを通じて、日本の原風景のような奥会津を愛し、そこで自然と共生しながら、強く逞しく生きている人達のたくさんの笑顔と出逢うことができた。そこに行かなければ見ることのできない風景、入ることのできない秘湯、そして口にすることのできない自然の恵みにも本当にたくさん、たくさん、出逢うことができた。

 でも、山内さんが、おそらく僕に一番出逢わせたいと思っていたであろうものが、旅の最後に、山内さんの案内で天然の山菜を摘みに奥会津の山に入った時に見た「福島のもうひとつの現実」。それこそが冒頭の2011年に福島を襲った、震災でも原発事故でもない、報道されない福島の3つ目の傷跡、東日本大震災から4ヶ月後の2011年7月に起きた「新潟・福島豪雨」だ。

 もちろん、その自然災害そのものが起きたことは報道されていたし、僕自身も知ってはいた。けれど、その豪雨によって引き起こされた只見川の氾濫が、山や川とともに生きる奥会津の民家を飲み込み、ライフラインであるJR只見線の鉄橋を破壊して不通に追い込んだ大洪水の二次的要因が、只見川の豊かな水源を利用して水力発電をする為にダムを造り河川を増水させた「とある電力会社」にあると批判され始めてから殆ど報道されなくなってしまったという話は、この地を訪れて初めて聞いた。

 そんな川沿いの絶景を走り、多くの鉄道ファンを集めていた只見線も、洪水で3つの鉄橋が崩落した区間は2年近く経った今も不通のまま。百億円以上掛かるという工事費の見通しも立っていない。二次的原因ではないかと言われている水力発電所も、洪水で破壊された護岸工事が終わっていないのと、地元の理解が得られないまま停止したままだ。

 そんな奥会津のもうひとつの真実を僕に見せてくれた山内さんの本業は、国土交通省から依頼された河川のパトロールだ。お金を貰って大好きな川に行けるからと奥会津を流れる18の河川を毎日見回っているのだという。しかし、そんな大好きな河川も、見た目こそ写真のように澄み切っているけれど、原発事故の影響で今は禁漁を余儀なくされている。
 それだけじゃない。この旅で訪れた秘湯の温泉旅館のご主人も、源泉の近くで地熱発電が始まってから、温泉の出が悪くなったと嘆いていた。

 どうすればいいんだろうと頭を抱えたところで、僕らは今すぐに電力を必要とするこの暮らしを捨てることはできない。だからといって、山や川や温泉などの自然の恵みとともに生きて来た人々の暮らしを奪う権利もない。

 国内では少子化が叫ばれているけれど、地球規模的に見れば人間は増えすぎている。近い将来、今よりもっと深刻な食糧問題に僕たちも直面させられると言われている。それはより命に直結している分、今のエネルギー問題よりも苛酷なものになるんじゃないだろうか。

 そんな様々な想いと、山ほど摘んだ山菜という自然の恵みを抱えて、僕は奥会津を後にした。山内さんやそこで出逢った人々との、秋の恵みの季節での再会を約束し、新幹線に乗る為に郡山に向かった。

 帰り道、郡山の手前にある三春町に立ち寄った。桜と梅と桃、3つの花が一度に咲くという、3つの春が一度に訪れることがその名の由来となっている町だ。訪れたのは、日本三大桜のひとつである「三春の滝桜」。すでに葉桜となってしまっていたけれど、樹齢1000年とも言われるその勇姿に、なぜか少しだけ救われたような気がした。

小原信治
投稿時間:2013-05-10 01:14:31
 
5月2日 小原信治の草の根広告社
「あの日〜福島は生きている〜」

「あの日、朝ごはんに食べたもの憶えてますか?」
 福島の人々へのそんな問い掛けで始まった、映画『あの日〜福島は生きている〜』。箭内道彦さんが発起人となって2011年夏、震災そして原発事故から半年しか経っていない福島県で6日間に渡って開催された「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」に参加した人達のその後を追ったドキュメンタリーだ。
 2月末まで全国のローソンでチャリティDVDとして発売されていたこの映画を、僕は先日、逗子海岸で毎年行われている『逗子海岸映画祭』で観た。
 
「今この時期に福島でこういうライブを開催することには賛否両論あります。 
 でも、福島にこんな夜があったっていいじゃないか!」
 ステージ上の箭内さんの、悲しみも怒りも、そして故郷に対するやさしさなど、すべての感情を詰め込んだその叫びに、涙が溢れて止まらなかった。

 そして、福山さんも「THE LIVE BANGツアー」の最中に参加した、あの6日間のライブに、福島の人達がどんな思いで参加したのかがとてもよく分かった。この映画を観た多くの人が言っているように、今まで見た福島のどんなドキュメンタリーよりも福島の人が近くに感じられた。それは、この映画に監修として参加されている是枝裕和さんがおっしゃっているように、映像に刻まれているものが「誰にでも訪れる日常」だからなのかもしれないと思った。

「あの日、朝ごはんに食べたもの憶えてますか?」
 2011年3月11日の朝、何を食べたかを、取材されている福島の人々は憶えてはいなかった。かくいう僕自身も、あの日の朝、何を食べたか、思い出すことはできなかった。地震が起きた2時46分以降、そして、原発から白煙が上がって以降、まるでそれ以前の記憶が消え去ってしまったかのように。

 

 あれから2年。僕は今、福島にいる。震災後に知り合った福島のある方に会いに来たのだ。電話では何度も話していたけれど、実はお会いするのは今日が初めてなのだ。あと30分で待ち合わせの時間。その方は、あの日の朝、何を食べたか憶えているだろうか?

 福山さんのライブシーンも「fighting pose」とともに刻まれている映画「あの日〜福島は生きている〜」。これからも、より多くの人に観て欲しい一本だ。

小原信治

(※という原稿を昨日の午後に書いたものの、福島の山深い場所にいた為、ネットが繋がらず更新できませんでした(^_^;))


投稿時間:2013-05-03 17:14:22
 
4月25日 小原信治の草の根広告社
『誰もが満員電車に乗らなくてよくなる未来』
 
 集団登校、集団下校、集団行動…。
 子供の頃から「集団」と名のつくものが苦手だった。嫌いだったとう方が正しいかもしれない。前やとなりに歩調を合わせて行進するのが大嫌いだった。というと、「行進から学ぶことがある」という大人もいるだろうが、やらされる理由が分かるから余計に嫌だった。そこから学ばせられること自体に拒否反応を示していた。いや、僕だけじゃないだろう。高度経済成長の次に来た「個人主義」が蔓延する中で生まれ育った僕ら以降の世代の誰もがこうした「集団」への嫌悪感を多かれ少なかれ持っていると思う。
 
 たまたまその思いが人一倍強かった僕は、大人になる段階でもそうした「集団」の中で生きることを受け入れることができなかった。集団珍走と呼ばれる暴走族にも入らなかったし、そういう人たちのことを「群れなきゃ何もできない弱虫ども」と鼻で笑ってた。嫌いな集団面接も受けなかったし、集団就職もしなかった。今だって集団的自衛権?それ必要?俺関係ないもん。といった具合だ。

 そんな僕の思いが届いたわけではもちろんないけれど、最近、この世界の中で形成されていた様々な「集団」が急速に溶解しているのを強く感じさせられることが多い。たとえるなら、フルマラソンを自分のペースで黙々と走っていたら先頭「集団」を始め、歩調を合わせていた前後左右の「集団」が次々とペースを乱し、拡散しているみたいに。

 グローバル化とともに顧客とリーズナブルな雇用を世界各国に求め、機能を分散化させ、その結果、合法的に高い法人税と能力以上の賃金支払いを逃れている企業の「経営集団」。そんな企業に勤めていた人たちの中にも賃金が下がるのならと「集団」を飛び出し、勤めていた企業以外の同業他社も相手に今までの仕事をすることで収入をキープしたり、増やしたりしているケースが多く見られる。
 
 先日、世界同一賃金という考え方を打ち出したあるグローバル企業の会長の「年収100万円も仕方ない」という発言がちょっとした話題になっていたけれど、そうした世の中ではこうした「集団」の溶解がさらに加速化して進むことだろう。

 インターネットの世界では「国民」という集団すらとっくに溶解している。そんな中、国民の税金でミサイルを作ったり、領土を争ったり、「集団的自衛権」なんて叫んでいる各国の政治家の言葉は、「国家」がその役目の多くを終えていることを認めず、企業や個人からの「税」を貪り続ける為には「集団」の溶解をさせてはならないという時代遅れの意図を感じざるを得ない。

 それでも「集団」の溶解は止まることなく進んでいる。今までは「集団」を嫌い、自分のペースで黙々と走っていた自分はマイノリティだと思ったいたけれど、これからはみんなが「集団」を飛び出し、思い思いの道を、自分のペースで走る世の中になるんだろう。好むと好まざるとに関わらず。

 そんな中で走り続けてゆくには、今まで以上に「身軽」になることが必要だと強く感じる。そして、他の誰かにペースを乱されないよう、「唯我独尊」を強く意識し続けることが、とても大切だと。

 これを読んでいる人の中にはそういう世の中に不安や恐れを感じている人も少なくないんじゃないかと思う。でも、「集団」を嫌い、ずっと自分のペースで走って来た僕があえて言うとするならば、それはとても楽しいことだ。何よりあの地獄のような満員電車に乗らなくていい。子供の頃の集団登校がさらに過酷さを増した「通勤地獄」という状況が過去のものになるだけでも、未来は明るいと思えるのは僕だけだろうか?

 「若干、集団行動が苦手な傾向があります」
 通信簿にそんな風に書かれていた子供の頃には、まさかその「集団」が消え去る時代が来るなんて想像もしてなかった(笑)。

小原信治
投稿時間:2013-04-26 10:45:37
 
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