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小原信治の草の根広告社     過去の「小原信治の草の根広告社」はこちら
9月25日 小原信治の草の根広告社
『深呼吸の必要』
 
 雨上がりの夕焼けを見る為だけに、浜に向かった。
 無心で高波と戯れるサーファーと秒単位で表情を変える空のオレンジ。深呼吸する。ここ数日分の、身体の中に溜まっていた憂鬱な空気を思い切り吐き出してから、肺の中いっぱいに潮風を吸い込む。
 ここが「地球」であることを再確認し、10分前まで坐っていたパソコンの前に戻ると、さっきまでとは違う言葉が書き出せるような気がした。

 こういう「人生に必要な深呼吸」を、都会で暮らしていた頃は年に一度の旅の空の下でしていた。建物の中でたくさんの情報に溺れていると忘れてしまいがちな「ここが地球であること」を思い出していた。
 今思えば、よく耐えていられたなと思う。あの頃は今よりもストレスに強かったんだろうか。それとも、世の中があの頃よりも殺伐としてしまったんだろうか。自律神経の弱さにかけては自信のある僕のことだ。今もあの暮らしを続けていたら、きっとどこかに異常をきたしていたんじゃないだろうか。

 「ワークライフバランス」という言葉を最近よく耳にする。仕事と生活のアンバランスが引き起こす様々な悲劇を抑える為に、自分に合ったバランスを整えることなんだそうだ。今日見たニュースでは「若者が正社員で働くのは負け」だと、週休4日で15万円の”ゆるい就職”に多くの20代がひきつけられていたるという。少し前に見たドキュメンタリーでは団塊の世代が「定年後は田舎に引っ込んでのんびり釣りとか畑仕事をやりたい」と言っていたのを聞いて、「だったら若いうちからずっとそういう生き方を選べばいいのに」という30代の人たちがいた。

 自分自身のワークライフバランスを改めて考えたことはないけれど、おそらく「自分にとって最高だと思えるシンプルな人生」を見つけることなんじゃないだろうか。30代の頃に貰った様々な旅の体験と、40代になって全国の農業家さんたちを訪ね歩くようになった経験とが、ある日脳内で生み出していたこの言葉が、僕にとっての最高のシンプルな人生だ。少なくとも今のところは。

「日が昇ったら起きて、畑で汗を流して、
 自分たちで作ったおいしいごはんを食べて、
 笑い合って、日が沈んだら眠りにつく。
 ときどき、ひとりで空を見上げて、泣いちゃったりもする。
 そんな当たり前の暮らしを大切にし続けること」

 本来、生きることはとてもシンプルなはずなのに、どんどん複雑になってしまっている。そのせいで、たくさんの悲劇が生まれている。人の命はとても脆いし、人の心はそれ以上に脆い。

 ひとりでも多くの人がそういう悲劇を回避できるよう、そして悲劇の連鎖が起きないよう、ひとりでも多くの人が自分の人生に必要な「深呼吸」をと、パソコンの前で胸一杯に吸い込んだ潮風を、ゆっくりゆっくり吐き出しながら、思った。

小原信治
投稿時間:2014-09-25 20:11:57
 
9月18日 小原信治の草の根広告社
『晩夏』
 
 「晩夏」という言葉がぴったりくる日々が続いている。
 騒がしかった浜は静かになり、誰もいなくなったそこに風が毎日せっせと秋を運び込んでいる。理由もなく淋しさが込み上げる夕暮れ時はビーサンではもう寒い。

 晩夏。
 人はこの季節をどんな風に過ごしているんだろう。冷えたビールのおいしい夏でもなければ、食欲の秋にはまだちょっと早く、たまにガラにもなく人恋しくなったりするこの季節が、最近割と嫌いじゃない。
 
 なんて、やがて訪れる季節の仕込み仕事の合間、仲間の結婚披露宴の出席葉書を投函しに行く道すがらに、つらつら思ったことをゆるゆると書き綴ってみた。

 そういえばさっき、部屋の片隅で、やり損なった花火を見つけた。

 そういえばさっき、この『草の根広告社』を最初に書いたのが2004年の6月だったと知った。なんだかんだで、もう10年だ。

小原信治
投稿時間:2014-09-18 20:44:19
 
9月11日 小原信治の草の根広告社
『かあちゃん財布』
 
 夏が始まる前に書いた「かあちゃん財布」です。

 この夏、たいへんお世話になりました。

 ありがとうございました!

小原信治
投稿時間:2014-09-11 21:19:52
 
9月4日 小原信治の草の根広告社
『2029年8月31日』
 
 8月31日は、海へ行く。
 子供の頃の、数少ない夏休みの想い出だ。子供を三人も連れてシーズン中の混雑した海に行くのは面倒だし、海の家はお金が掛かるからと、母は毎年夏休みが終わる8月31日にだけ、僕らを海に連れて行ってくれた。お盆過ぎに海の家が片付けられてしまった誰もいない砂浜で、母の握ったおむすびと卵焼きと唐揚げを冷たい麦茶で流し込んだ。誰もいない海をひとり占めしているような気分で、日が暮れるまで波と戯れた。同級生のほとんどが宿題に追われていて気づいていなかっただろうけど、僕が子供の頃、8月31日はいつだって晴れだった。そして、8月31日だけは真夏の暑さがこっそりと戻って来ていた。それは夏休みの宿題を早く終えた子供にだけ、太陽がくれた御褒美みたいだった。ただひとつ残念なのは、夏休みの絵日記はすでに書き終えていた為、そんな8月31日の素晴らしい想い出を書くことは、一度もなかったこと。1970年代の終わりから80年代の初めの頃の話だ。

 あの夏から30年以上が経った8月30日。『魂ラジ』で2029年についてメールを交えながら話をした。少子高齢化とか食糧難とか環境破壊とか、消えてゆく仕事などの話題も多かったせいだろう。10代のリスナーから「将来が不安になった」「どんな進路を選べばいいのか分からなくなった」というメールも多数届いていた(※今週、改めて取り上げる予定です)。

 あの8月31日、誰もいない海でくたくたになるまで波と戯れていた10代の僕は、未来をどんな風に感じていたんだろう。そこに抱いていたのは希望だろうか、絶望だろうか。そんなことを改めて思い返した。
 
 世界全般に関していえば、未来には車が空を飛んでいると思っていた。これは希望。でも同時に、1999年の7月に世界は終わるというノストラダムスの大預言を信じていた。当時はアメリカとソ連(※今のロシアね)が水爆実験を繰り返しながら睨み合いを続けていたから、あながち現実味のない話でもなかった。じゃあそんな絶望的な未来も見える時代に生きていた自分自身の将来に関してはどう思っていたんだろう?希望はあったんだろうか?絶望しかなかったんだろうか?或いはどちらでもなかったんだろうか。改めて思い返してみる。

 僕は子供の頃、「今」が好きじゃなかった。転校先で「あること」をからかわれ、不登校を経験して以来ずっと、学校という集団には一度も馴染むことができなかった。同級生はみんな「くだらないガキ」だと「今」を楽しめない自分への負け惜しみみたいに毒づきながら、1日も早く「自由」な大人になりたいと思っていた。

 そういう意味では未来ばかり見ていたのかもしれない。でも、そこに具体的な進路やビジョンは何ひとつなかった。唯一、具体的に考えたのは、父の通勤鞄に入っていた『息子をサラリーマンにしない法』というタイトルの本を見つけた時かもしれない(※今になって調べたら、1975年に出版された石原慎太郎さんの著書だった。当時も今も僕自身は読んでいないので中身は知らない)。なんとなくだけど、毎日通勤地獄に縛られていた父親のようなサラリーマンは思い描く「自由」な大人ではないと、将来の選択肢から外したくらいだ。
 
 そう考えると、僕が抱いていた自分の将来であり進路は「自由」という二文字だけだ。今みたいに情報が氾濫していなかったことも功を奏したのだろうが、そこに将来、世の中がどうなっているかなんて枷は少しも感じていなかった。信じていた1999年の世界の終わりさえも不安材料ではなかった。今より平和で幸せな世の中だったのかもしれないし、バカなだけだったのかもしれない。そして、そんな漠然とした未来予想図だけで、気がつけば45歳まで辿り着いてしまった。
「自由になりたい」。
 子供の頃に抱いたその想いは、45歳になった今も変わってはいない。

 そんなことを改めて考えた魂ラジの翌日、海へ行った。2014年8月31日の海だ。温暖化が進んでいるせいか、あの頃と違って海の家は営業中だったし、海水浴に訪れている人もチラホラいた。僕は砂浜に腰掛け、冷たいビール片手に、2014年8月最後の夕陽が海の向こうに沈むのをずっと見ていた。世界が終わると信じていた1999年7月が「過去」となってから15年以上が経っている。そして、同じ夕焼けを見ていたあの8月31日、夏休みの宿題を片付けてしまっていた僕は、誰よりも自由だったことを思い出した。

 良い年して無責任だとか、脳天気だとか批難されるかもしれないけれど、2029年の8 月31日も、この海で誰よりも自由を感じることのできる自分でいたい。思い描く未来が相変わらず漠然としたものであることに呆れつつも、今となってはそんな自分のタフさが誇らしくも感じられた。

小原信治
投稿時間:2014-09-04 23:36:40
 
8月29日 小原信治の草の根広告社
『未来の種』
 
 「ひまわり」
 今週「魂のリクエスト」でたくさんのリクエストの中から、福山さんはこの歌を選んだ。毎年、夏が終わる頃になると、季節の便りのように全国から寄せられるようになった「未来の種」にまつわるリクエストだ。1年ごとに、そこに記された「何代目」の数字がひとつずつ増えている。 

 「未来の種」。
 御存知ない方の為に説明しておくと、今を遡ること12年前、2002年に放送されていた福山さん初のレギュラーTV『福山エンヂニヤリング』という番組(僕も構成で参加させて頂いていました)の中で育てた「ひまわり」から採った種だ。きっかけは福山さんが前川清さんに書き下ろしたシングル「ひまわり」のヒット祈願にと種を植えたこと。番組では毎週成長記録を紹介、大輪の花が見事なひまわり畑を作った頃に番組は終了を迎えた。

 9月の最終回には畑で追熟させたひまわりから、福山工場長(福山さんです)とテリー工場監督(レギュラー出演者のテリー伊藤さんです)が種を収穫。お世話になった人たちにプレゼントして回った。その際、種を袋詰めするにあたってつけた名前が『未来の種』(と書いて実は「ひまわり」と読みます)。「完全手作りの芋焼酎」や「1万円バンド」等など、福山さんが番組を通じて表現し続けてきた「モノ作りの楽しさや喜び」を番組が終わった後も語り継いでいけたら、繋いでいけたらという想いでそう名付けた。そして、その『未来の種』は番組を応援して下さった1000名の方に届けられた。福山さんが最終回で弾き語りをしてくれた『友よ』という歌とともに。

 その後、最初の1000人が植えた『未来の種』が花を咲かせ、次の種を生み、その種がまた別の誰かに渡って、別の土地で花を咲かせているという話は少しずつではあるが、確実に僕らの耳にも入っていた。ある年は福山さんのファンクラブの会報から、ある年は魂ラジに届くリクエストメールから。それは今みたいにネットが発達していなかった時代から水面下でじわじわという感じで広がり、気がついたら12年もの月日が流れていた。「未来は来るモノではなく、創るもの」。『未来の種』に託した「モノ作りの楽しさと喜び」がこんな風に拡がってゆくなんて、2002年の僕らは果たして想像していただろうか。

 そして、この夏、もっと想像していなかったことがあった。
 それは、僕自身が巡り巡って手にした『未来の種』を蒔き、花を咲かせたということだ。その種は去年の秋、魂ラジ宛に届いた12代目の花から採取されたものだった。送って下さった方も、11代目の花から採取した種を分けて貰い、初めて植えたんだそうだ。

 夏が始まる前、自分の畑にその種を蒔いた。2002年に番組のみんなで最初のひまわりの種を蒔いた時のことが甦った。思えばあれが僕にとって初めての農業体験だった。33歳だった。まさか12年後、当時から憧れだった海の見える家で暮らし、畑を耕しているなんて、当時の僕は想像もしていなかった。

 あれから12年。僕は潮風薫る自分の畑で、あの夏のひまわりと12年振りに再会した。いろんなことが甦った。2002年の9ヶ月間、あの場所で出逢い、同じ時間を過ごしたたくさんの人たちの顔を思い出した。その中には、もう二度と逢えなくなってしまった人もいた。

 同じ遺伝子を持つひまわりの花をこの夏、全国で何人の方が見上げているのだろう。1000人から始まった『未来の種』。僕は自分の畑で花を咲かせた13代目のひまわりを見ながら、この12年間、その命を繋ぎ、拡散し、育て続けてくれた人たちに心から感謝した。種を植えて来たひとり一人にいろんなドラマがあったのだろう。ひとり一人がいろんな想いで種を蒔き、水をやり、花咲かせて種を採り、その命を繋いで来たのだろう。いつか機会があれば「未来の種」を植えた人たちのそれぞれのドラマも伺ってみたい。

 「過去を歌う、現在を語らう、未来を作る。」
 『福山エンヂニヤリング』という番組はとっくに終わってしまったけれど、そこにあった『想い』は確実に今も生き続けている。いや、その生命を繋いで貰っている。未来は今も育てられ続けているのだ。『未来の種』を手にしたすべての人たちの手で。

 そのことへの感謝と同時に、僕はあの9ヶ月間が、いつの間にか遠い遠い忘れられない青春の1ページになっている事実に改めて気づかされて、鼻の奥が少しツンとなった。

小原信治

追記
 未来といえば、明後日8月30日、60周年リスナー大感謝ウィークの魂のラジオは、題して『ぼくと2029年の話をしよう!』。60つながりということで、福山さんが60歳になる15年後の2029年、世の中はどうなってる?ラジオは?そして、あなた自身はどうしてる?どうなっていたい?というわけで、福山さんが60歳を迎える「2029年のあなた自身へのメール」をお待ちしています。

メールは
masha@allnightnippon.com
たくさんのメールお待ちしています。
投稿時間:2014-08-29 09:08:19
 
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