福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル 魂のラジオ 毎週土曜日23時30分から25時までオンエアー。
魂ラジブログ
2015年3月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
カテゴリー
・すべて表示
・魂ラジレポート
・福山雅治インフォメーション
・魂ラジインフォメーション
・最愛
・5年モノ
・スタッフ日誌
・小原信治の草の根広告社
 
ニッポン放送がインターネットで聴けます!!
小原信治の草の根広告社     過去の「小原信治の草の根広告社」はこちら
3月26日 小原信治の草の根広告社
『笑っていよう、バカみたいに』
 
 ひとつの旅が終わる。
 のべ23年、およそ四半世紀にも及ぶ長い長い旅。1994年11月に参加した僕はそのうちの21年をともに歩いたことになる。始まった時はここまで長い旅になるとは思ってもいなかった。25歳だった僕は45歳になっていた。

『福山雅治のオールナイトニッポン』

 それは僕にとって何だったんだろう。青春と呼ぶには年を取り過ぎたし、人生と言い切ってしまうのは早過ぎる。何だったのだろう。聴き手のひとり一人にも番組に対する自分の思いを表現するのにぴったりな言葉があるように、作り手のひとりである僕にも僕だけの言葉がきっとあるはずだ。
 

 以上の文章は、2014年1月の終わり、番組が終了することを訊いた直後に書き始めたものの一部だ。いつの頃からかはもう忘れてしまったけれど、僕は人生で答えの分からないことにぶつかると、いつもこんな風に書き始めていた。書きながら自分なりの答えを見つけてきた。

 この1年と2ヶ月、こんな風に私的な回顧録のような文章を断片的に綴りながら、四半世紀に及ぶ年月を自分なりに振り返ってきた。1992年から2015年という長い長い記憶の道を辿りながら、「僕にとっての、」に相応しい「言葉」を探してきた。


 今週になってようやく、その言葉が見つかった。
明後日の最終回は、僕にとって、その答え合わせでもあるのかもしれない。

 なんて文字にすると、旅の終わりの夕焼け空みたいに感傷的になってしまうけれど、思いとしては、最後まで、笑っていたい。

 いや、最後まで、笑っていよう、バカみたいに。

小原信治
投稿時間:2015-03-26 18:14:40
 
3月20日 小原信治の草の根広告社
『何度でも花が咲くように私を生きよう』
 
 「終わりの始まり」が僕に訪れたのは、実は1年以上前、2014年1月28日のことだった(なぜ正確な日付まで憶えているかというと、日記につけてあったからだ)。

 この1年、「終わる」という事実は、いつも僕のすぐ隣りにいた。おとなしい猫みたいにくるんとまるまって、鳴き声ひとつ立てずに。

 ふとした瞬間に刻々と迫るその時を数えては、センチメンタルな気持ちになることもあった。だから大感謝祭のリハーサルで「タイトル未定」の新曲を初めて聴かせて頂いたときも、「これじゃないんだな」という歌詞の一節に激しく共感しながら、その一方で、人生の歳月を感じさせる春の歌に、やがて確実に訪れる「終わりの夜」を、想像せずにはいられなかった。

 ツアーの時は「少年」で始まる今回のライブのストーリーを表現するナンバーでもあったように感じていたけれど、その終盤で歌詞のある言葉が変わったときに、この歌を聴いたときに見える「終わりの夜」の景色が、さらに色濃くなった。
 
 終わりの夜に、この歌を聴いて、どんな気持ちになるんだろう?
 お別れの夜に、この歌は、どんな風に響くんだろう?
 
 あと2回だ。

小原信治
投稿時間:2015-03-20 09:38:45
 
3月13日 小原信治の草の根広告社
『3.11』
 
 たぶん、僕は「自立心」が強い方だと思う。
 10代の頃は一日も早く自分の力で生活できるようになりたかったし、18歳で家を出た後も、会社員ではなくフリーランスを選んだんだろうし、今だって誰かや何かに依存せずとも最低限、命を繋ぐだけのものは自分の力で何とかできるようになりたいという思いから、せっせと畑を耕しているんだと思う。

 そもそも土を耕している人には自立心が強い人が多いけれど、最近、番組(ちなみに3月15日と22日日曜午前6時5分から、ニッポン放送で放送される「The Voice of farmers」という番組です)で取材させて頂いたこの方にも、そんな気質を色濃く感じた。

 宮城県名取市で400年続く農家の七代目、三浦隆弘さん、35歳。きっかけは2月に仙台駅前の郷土居酒屋さんで出逢った「セリ鍋」だ。鶏肉の旨味が出た醤油ベースの出し汁で、根っこのついたセリをしゃぶしゃぶして味わうこの鍋料理を、僕は昔からある宮城県の郷土料理だとばかり思っていたのだけれど、実はそうじゃなかった。そのお店に立派な根っこのついた無農薬のセリを卸していたこの三浦さんこそが、「セリ鍋」そのものの生みの親でもあったのだ。

 三浦さんが生まれ育った宮城県名取市は日本一のセリの産地で、育てたセリの大部分をもっとも需要のある(言い換えればもっとも高く売れる)七草の時期に、東京などの大都市に出荷する農家が大部分だったそうだ。でも、作っている側からすると、セリが本当においしいのは、寒さが刺激となって甘味が増す3月から4月。そのことを地元の人たちにもっと知って貰いたいという思いから、12年前、三浦さんが仙台駅前の小さな居酒屋さんと一緒に、セリをおいしく食べるレシピとして開発したのが「セリ鍋」だったのだという。一度食べたらクセになる太い根っこも、一般のセリ農家は出荷時に切って捨てていた部分だったという。

 そこから12年。口コミでセリ鍋を出す店も徐々に広がって行ったそうだ。ローカル番組で牛タンに次ぐ定番と紹介されている様子は、短期滞在者の僕からすると昔からの伝統料理だと勘違いするくらいだった。熱烈な観光客リピーターも多く「東京で取り寄せられないの?」とか「食べられないの?」という声も数多くあるものの「仙台に来ないと食べられないものがあってもいいんじゃないか」と、県外には出していないのだという。

 そんな三浦さんのスタンスに、僕は強い自立心を感じ、共感した。三浦さん自身はそんな言い方はしていなかったけれど、地元の昔ながらのやり方からの自立心、東京のような大消費地依存からの自立心を強く感じた。そして、これも三浦さん自身は何も言っていなかったけれど、そういう人だからこそ、3.11以降の「目に見えない何か」に足を引っ張られているような現状には、人一倍怒りを覚えているんじゃないだろうかと感じた。

 土を耕したことがない人は、普段の自分の生活がどれだけ自然環境の足を引っ張っているかをあまり想像したことはないかもしれない。海に工場などから真水を排出することがどれほど漁場を痩せさせているかを知っている人は少ないかもしれない(おそらく人体に害のないキレイな水を排出するのがどうして悪いの?と首を傾げる人がほとんどだろう)。でも、そんな自然と向き合っている人たちに命を支える「食」の部分では少なくとも依存して生きている以上、せめて彼らの足を引っ張らないようにすることをもっと真剣に考えて、様々なことを選択するべきなんじゃないだろうか。

 地方の農漁村は、都会の植民地なんかじゃない。
 そんな当たり前のことを、一体どれだけの人が本当に分かっているのだろうと改めて感じた、4年目の3月11日だった。

小原信治
投稿時間:2015-03-13 01:40:27
 
3月6日 小原信治の草の根広告社
『フランス人は10着しか服を持たない』

 『フランス人は10着しか服を持たない』という本が、昨年から若い女性の間でベストセラーになっているそうだ。
 僕はまだこの本を読んでいない。たぶんこの先、読むこともないだろう。なぜなら『僕は10着以下しか服を持っていない』からだ。フランス人じゃなくて、日本人だけど。だから、読む必要がない。そして、今の時代に、この手の本が売れる理由はとてもよく分かる。

 物心づいたときから、憧れる人はみんないつも同じ服を着ていた。
 「あしたのジョー」の矢吹丈、セックス・ピストルズのシド・ヴィシャス、Theピーズのはる、「男はつらいよ」の車寅次郎・・・。

 身軽であること。
 僕にとってはそれが生きてゆく上での唯一無二の信条だった。
 狭苦しい団地で、自分の居場所すら奪われるほどの不必要なモノに囲まれて生まれ育った反動でもあっただろう。消費を幸福の物差しにしていた周囲への反発もあったかもしれない。物心づいたときからトランクひとつで暮らすような、シンプルな生き方に憧れていた。身軽であること。それこそが明日何があるか分からないこの世界で、どこに行っても、何をしてでも生きていける強さだと信じていた。
 いつも身の回りにモノが増えないよう、処分と整理を繰り返しながら生きて来た。やがて着るものはいつもジーンズかカーゴパンツに白か黒のTシャツ、寒い時はその上にパーカーや革ジャンを羽織るだけに落ち着いて行った。高校受験が終わった翌朝にはもう勉強はしないからと勉強机を粗大ゴミに出してしまったりもした。そういった僕の行動は両親から見たら半ば病的でさえあったに違いない。高校時代は四畳半にシングルベッドひとつだけという余分なものは何ひとつない部屋で、自分にとって必要なものは何なのか。自分は何があれば生きていけるのか。そんなことばかり考えながら、図書館で借りて来た本を読んで過ごした。

 そして45歳の冬、僕はフランス人の10着を下回る9着の服だけで過ごしている。ホワイトジーンズとブルージーンズ、ボーダーのロングTシャツ3枚、ちょっとだけ高かったシングルライダース、それと、スウェットの上下。あとは物凄く寒い日にだけ羽織る、折り畳みのダウン。以上だ。

 冒頭の本にも同じようなことが書いてあるのかもしれないけれど、服が少ないといいことずくめだ。収納スペースがいらない。毎日着るものに悩まない。旅支度は1分で済む(持ってるアイテムを全部持って行くだけだ)。災害時の避難も早い(これも持ってるアイテムを全部持って行くだけだ)。

 本当はいつも同じ服を着ているスティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグみたいに、服をユニフォーム化したいのだけれど、その域に達することができないのは、僕が成功者ではない証なのかもしれない。 

 そんなワケで、先週の生放送で二度目のボーダーシャツ写真が拡散された後、ツイッターに「え?まさか先週のと同じボーダーなんですか?」と、まるで「外泊したので昨日と同じ服で会社に来ちゃった人」に対するのと同じような反応が多数(おそらくすべて女性だ)寄せられたときには、正直、僕の方が驚いてしまった。
 「え?え?あなたたちみんなフランス人になりたいんじゃなかったの?」

小原信治
投稿時間:2015-03-06 06:49:00
 
2月27日 小原信治の草の根広告社
『監獄実験』

「お前も職務質問されるようになったら、作家として一人前だ」
 その昔、無頼派の先輩がそんなことを言っていた。偉いんだか偉くないんだか、嬉しいんだか嬉しくないんだか分からない指標だと思った。

 ボーダーシャツのおかげで、トレンドワードに入れて頂いた生放送終了後の話だ。首都高の入り口に向けて車を走らせていた僕を、後ろから近づいてきたパトカーの赤色灯が照らした。「停まりなさい」という高圧的な声が聞こえた。
 シートベルトもしていた。速度違反も、信号無視もしていなかった。眉をしかめながらウインカーを出して路肩に寄せると、パトカーを降りてきた3人の警察官が素早く運転席の僕を包囲した。
「免許証の提示をお願いします」
 降りてゆく窓の向こうで警察官が告げた。飲酒運転などの検問という感じでもなかった。財布から免許証を出すと「車を降りるよう」命じられた。

「薬物を詰んでいないかトランクと車内を見せて貰います」
 1人目が車の中を調べ始めた。 
「偽造カードを持っていないか財布の中を見せて貰います」
 2人目が財布の中身を調べ始めた。
「こんな時間に何をしてるんですか?」
 3人目が、ついに僕自身を調べ始めた。

 1971年にスタンフォード大学である心理実験が行われた。新聞広告などで集めた21人の被験者のうち、11人を看守役に、10人を囚人役に分け、刑務所に近い設備で2週間それぞれの役を演じさせたところ、被験者の多くがその役割に合わせた行動を取るようになったという。実際には看守でも囚人でもないのに、だ。

 3人の警官に包囲された僕は、誰が見ても完全な容疑者だっただろう。闇の中で音もなく回転する赤色灯が舞台照明のように雰囲気を盛り上げる。さらに衣装。そう、僕は革ジャンの下に「ボーダーシャツ」だったのだ。容疑者を通り越して、もはや囚人じゃないか。完璧じゃないか。

 気がつけば僕は、スタンフォード監獄実験の被験者のように、容疑者という役割を演じ始めていた。やましいことは何ひとつないのに、車の中から薬物か何か出てくるんじゃないかという罪悪感を抱き、逮捕直前の犯人みたいに深い絶望を滲ませた声で叫んでいた。
「これ、何も出て来なかったらどうしてくれるんですか?」
「謝ります」
 目の前の警察官がケロッと言った。
「それだけ?」
 IKKOさんの「どんだけ〜?」みたいなイントネーションだった。我ながら滑稽だった。
 
 5分後だったろうか、10分後だったろうか。緊張と怒りで時間の感覚もわからなくなっていた僕に向かって、3人の警察官が「すいませんでした」と挙手敬礼した。「謝ります」と言われた時には土下座でもするのかと思っていたけど、よく考えたらそんなことするはずがない。

「いやあ、東京はこの時間になると、危ない奴が多いんですよ」
 最後に告げたその言葉こそが、彼らが僕に職務質問をかけた理由だった。そんな東京がまた嫌いになった。そんな危ない街、二度と来るかと一瞬だが本気で思った。まあ、行かないと仕事にならないから、嫌いでも行くんだけど。

 カットが掛かっても役柄を引き摺ったままというのはこんな感じなんだろうか。簡単にはおさまりそうにない怒りの感情でアレコレ思いながら車を走らせていたとき、ふと浮かんだのが、その昔、無頼派の先輩に言われた冒頭の言葉だった。
「お前も職務質問されるようになったら、作家として一人前だ」

 思えば、人生初の職務質問だった。これで僕も作家としてようやく一人前になったのだろうか。いや、こんな不快な思いをするなら、死ぬまで半人前でいいやというのが、そんな先輩に対する僕自身の結論だった。

 あの夜、胸の奥に刺さった小さなトゲが、これを書いてようやく消えた。


 最後に警察の皆々様、深夜のパトロール、おつかれさまです。

小原信治
投稿時間:2015-02-27 07:29:13
 
古い方へ
Copyright © 2014 Nippon Broadcasting System, Inc. All Rights Reserved.