福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル 魂のラジオ 毎週土曜日23時30分から25時までオンエアー。
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8月29日 小原信治の草の根広告社
『未来の種』
 
 「ひまわり」
 今週「魂のリクエスト」でたくさんのリクエストの中から、福山さんはこの歌を選んだ。毎年、夏が終わる頃になると、季節の便りのように全国から寄せられるようになった「未来の種」にまつわるリクエストだ。1年ごとに、そこに記された「何代目」の数字がひとつずつ増えている。 

 「未来の種」。
 御存知ない方の為に説明しておくと、今を遡ること12年前、2002年に放送されていた福山さん初のレギュラーTV『福山エンヂニヤリング』という番組(僕も構成で参加させて頂いていました)の中で育てた「ひまわり」から採った種だ。きっかけは福山さんが前川清さんに書き下ろしたシングル「ひまわり」のヒット祈願にと種を植えたこと。番組では毎週成長記録を紹介、大輪の花が見事なひまわり畑を作った頃に番組は終了を迎えた。

 9月の最終回には畑で追熟させたひまわりから、福山工場長(福山さんです)とテリー工場監督(レギュラー出演者のテリー伊藤さんです)が種を収穫。お世話になった人たちにプレゼントして回った。その際、種を袋詰めするにあたってつけた名前が『未来の種』(と書いて実は「ひまわり」と読みます)。「完全手作りの芋焼酎」や「1万円バンド」等など、福山さんが番組を通じて表現し続けてきた「モノ作りの楽しさや喜び」を番組が終わった後も語り継いでいけたら、繋いでいけたらという想いでそう名付けた。そして、その『未来の種』は番組を応援して下さった1000名の方に届けられた。福山さんが最終回で弾き語りをしてくれた『友よ』という歌とともに。

 その後、最初の1000人が植えた『未来の種』が花を咲かせ、次の種を生み、その種がまた別の誰かに渡って、別の土地で花を咲かせているという話は少しずつではあるが、確実に僕らの耳にも入っていた。ある年は福山さんのファンクラブの会報から、ある年は魂ラジに届くリクエストメールから。それは今みたいにネットが発達していなかった時代から水面下でじわじわという感じで広がり、気がついたら12年もの月日が流れていた。「未来は来るモノではなく、創るもの」。『未来の種』に託した「モノ作りの楽しさと喜び」がこんな風に拡がってゆくなんて、2002年の僕らは果たして想像していただろうか。

 そして、この夏、もっと想像していなかったことがあった。
 それは、僕自身が巡り巡って手にした『未来の種』を蒔き、花を咲かせたということだ。その種は去年の秋、魂ラジ宛に届いた12代目の花から採取されたものだった。送って下さった方も、11代目の花から採取した種を分けて貰い、初めて植えたんだそうだ。

 夏が始まる前、自分の畑にその種を蒔いた。2002年に番組のみんなで最初のひまわりの種を蒔いた時のことが甦った。思えばあれが僕にとって初めての農業体験だった。33歳だった。まさか12年後、当時から憧れだった海の見える家で暮らし、畑を耕しているなんて、当時の僕は想像もしていなかった。

 あれから12年。僕は潮風薫る自分の畑で、あの夏のひまわりと12年振りに再会した。いろんなことが甦った。2002年の9ヶ月間、あの場所で出逢い、同じ時間を過ごしたたくさんの人たちの顔を思い出した。その中には、もう二度と逢えなくなってしまった人もいた。

 同じ遺伝子を持つひまわりの花をこの夏、全国で何人の方が見上げているのだろう。1000人から始まった『未来の種』。僕は自分の畑で花を咲かせた13代目のひまわりを見ながら、この12年間、その命を繋ぎ、拡散し、育て続けてくれた人たちに心から感謝した。種を植えて来たひとり一人にいろんなドラマがあったのだろう。ひとり一人がいろんな想いで種を蒔き、水をやり、花咲かせて種を採り、その命を繋いで来たのだろう。いつか機会があれば「未来の種」を植えた人たちのそれぞれのドラマも伺ってみたい。

 「過去を歌う、現在を語らう、未来を作る。」
 『福山エンヂニヤリング』という番組はとっくに終わってしまったけれど、そこにあった『想い』は確実に今も生き続けている。いや、その生命を繋いで貰っている。未来は今も育てられ続けているのだ。『未来の種』を手にしたすべての人たちの手で。

 そのことへの感謝と同時に、僕はあの9ヶ月間が、いつの間にか遠い遠い忘れられない青春の1ページになっている事実に改めて気づかされて、鼻の奥が少しツンとなった。

小原信治

追記
 未来といえば、明後日8月30日、60周年リスナー大感謝ウィークの魂のラジオは、題して『ぼくと2029年の話をしよう!』。60つながりということで、福山さんが60歳になる15年後の2029年、世の中はどうなってる?ラジオは?そして、あなた自身はどうしてる?どうなっていたい?というわけで、福山さんが60歳を迎える「2029年のあなた自身へのメール」をお待ちしています。

メールは
masha@allnightnippon.com
たくさんのメールお待ちしています。
投稿時間:2014-08-29 09:08:19
 
8月21日 小原信治の草の根広告社
『それは、僕らの命も守るため』
 
 「先月、念願の山羊を飼い始めました」
 広島からそんなメールが届いたのは、先週のことだ。送り主は広島楽器センターの堂願さん。2009年、2011年と福山さんのツアーで広島を訪れた際、ライブ会場でCDを売って下さった堂願さんは、全国のCDショップをキャンペーンで回っていたデビュー当時の福山さんと撮った写真をブレイク前から20年以上お店に飾って下さっていた、元サッカー日本代表の岡田監督似の素敵な方だ。
「実はレコード店の傍ら、広島の山奥で棚田をやってるんですよ」というお話しを伺って以来、たびたびメールを下さったり、魂ラジ宛に貴重な棚田米を送って下さったりしているのだ。

 そんな堂願さんから先週届いたメールには、念願の山羊を飼い始めたことや、いずれ山羊の乳を搾ってチーズを作りたいという里山での夢が綴られていた。
 その返事を書こうと思っていた矢先、一昨日の未明に起きた土砂崩れの一報が届いた。堂願さんの棚田は中国山地のさらに奥にある限界集落のようなところだと訊いていたので直接の被害には遭われていないと思ったものの、あの大雨で棚田や山羊がどうかなってしまったのではないかと慌ててメールした。
 すぐに「当方は大丈夫です」というお返事が届いた。だが、梅雨明けしてから毎日が梅雨のような雨、日照時間も少ない冷たい夏のおかげで、実りつつある稲穂を心配している日々なのだという。

 大丈夫だろうと思ってはいたけれど、直接無事を確認して心から安心した。しかし、大切な人や日常を失った方々はまだどうしていいか分からず途方に暮れているだろう。現地では今この時も行方不明の方々の捜索が続いている。今後も激しい雨が降ると予想されている。まだまだ予断を許さない状況が続いている。広島だけじゃなく、長崎でも大雨による土砂災害が起きている。そして、この日本のどこで、いつ同じようなことが起きてもおかしくないとさえ言われている。

 僕の住んでいる場所は海と山に挟まれている。おかげで真夏でも涼しい風が吹き抜け、内陸のような酷暑ではないけれど、今は味方となっているその自然が一度牙を剥くと勝ち目のない敵になることを僕らは嫌というほど見て来た。4年前の震災時に発令された津波警報の際の避難場所となった近隣の山には同時に土砂災害危険区域も存在する。もしも土砂崩れと津波が一度に襲って来たら、もはや逃げ場がない場所なのだ。 

 まだ原因や過去の過ちを検証しているときではないけれど、そういったリスクを強く肝に銘じながら、自然というコントロールできないものと上手に折り合いをつけられる「これからの文明のあり方」や、その中での自分なりの生き方やしあわせをこれからも模索し続けていくしかないのだと、そして、たとえ小さなことでも「今日からでもできること」をひとつずつ積み上げてゆくしかないのだと、改めて感じさせられた。

 たとえば、子供でも知っているが、強い根を張った大木は、地盤を強くしてくれるだけでなく、雨水を吸い上げ、大気に放出してくれる。緑の葉は空気を浄化するだけでなく、夏の放射熱を遮り、適度な通風もくれる。そんな大木が育つには数十年掛かるし、適宜手を入れていかなければならないけれど、今日苗を植えなければ始まりもしない。

「自然と共に生きてゆく」
 僕たちはもう、その一番良い方法を考えたり議論しているだけじゃダメなところまで、取り返しのつかないところまで追い詰められている。たぶん、とっくの昔に。そして、それが自分たちの命を守ってゆく為に絶対に必要なことだと、誰もが気づいているし、分かっている。なのに、他に何を守ろうとしているんだろう?

小原信治

 亡くなられた方々のご冥福と、行方不明の方々の少しでも早い救出、そして被災された方々が1日も早く日常に戻られることをお祈り申し上げます。
投稿時間:2014-08-21 21:03:47
 
8月14日 小原信治の草の根広告社
『空蝉』
 
 東京での仕事を終え、東海道線で打ち合わせを兼ねた会食の場である藤沢駅に着いたのは午後2時過ぎのことだった。約束まで3時間以上あった。どこか適当な喫茶店で原稿を書こうと思っていたが、お盆休みに入ったばかりの駅前は予想以上の人出だった。ここらで落ち着いて原稿を書ける場所を確保するのは難しそうだなと判断した僕の頭に浮かんでいたのは小田急線に乗って、近隣の小さな駅に避難することだった。

 江ノ島にでも行ってみようかと思ったけれど、今にも雨が降り出しそうだったし、今更、海もないだろう。それくらいの気持ちで、ふらりと乗り込んでいたのは上りの各駅停車だった。

 19歳で家を出るまで、僕はこの小田急江ノ島線の沿線で暮らしていた。藤沢本町、善行、湘南台…所々様変わりしているにせよ、沿線沿いの住宅密集地の中にビニールハウスと小さな工場が点在している「都会でもなければ田舎でもない風景」はあの頃のままだった。

 当初、降りようと思っていた長後駅に電車が着いた。18歳の時、自動車教習所に通いながらバイトしていた駅前のプールバーが建物ごと跡形もなく消え去っていた。なんとなく淋しくなって、降りるのをやめた。
 
 空虚感を引き摺ったまま、次の駅でふらりと電車を降りた。当時あった自宅の最寄り駅である高座渋谷駅だ。ホームに降り立った瞬間、線路の下から新幹線の風を切るような走行音が舞い上がってきた。続いて目を閉じてしまうような騒音とともに頭の上を米軍機が飛んでいった。帰って来た。そう思った瞬間、溜め息が出ていた。

 しかし、改札を出たところに広がっていたのは見たことのない風景だった。車一台やっと通れるくらいだった駅前通りは三車線に広がっていた。駅前にあった踏切もなくなっていた。駅前の八百屋さんを始め、所狭しと立ち並んでいた様々な店は跡形もなく消え去っていた。高校の頃に通った貸しレコード屋なんてもはやどこにあったかすら分からない。狭い道を人と車と自転車が行き交うごちゃごちゃしたイメージだった駅前には昼間にもかかわらず人通りはほとんどなかった。

 狐につままれたような気分で駅前にあった真新しい喫茶店に入った。訊けば3年ほど前に一度更地にして再開発を始めたのだという。窓の外の景色に、頭の中の「記憶の中の風景」を重ね合わせたが、手掛かりとなるものがひとつもなく、うまく重ならない。あの頃と変わっていないのは5分に一度、足下を通り過ぎる新幹線の風切り音と10分に一度、頭上を掠める米軍ヘリコプターの騒音だけだった。
 
 市の一部を米軍厚木基地が占めるこの街で僕は高校までの教育を受けた。中学の時には「1951年に日本は独立しました」という先生の言葉が上空をゆく米軍機の騒音に掻き消された。この国はいつになったら本当に独立できるんだろうと思いながら、大人になったことを思い出した。

 あの頃、他にどんなことを考えていたんだろう。僕の足は自然とその頃住んでいた場所に向かっていた。おそらくディズニーランドくらいの敷地面積を持つであろうマンモス団地だ。こちらも昼間だというのに人通りはなかった。聞こえるのは蝉の大合唱、それとこの街を支配する5分に一度の新幹線と10分に一度の米軍機だけだ。ちゃんと歩くのはおよそ20年振りだった。身長が伸びたせいだろう。自分がガリバーになったような錯覚を覚えた。毎晩8 時ちょうどに仕事から帰って来る父親を迎えに来たバス停。次回の上映作品に貼り変わるたびに胸を躍らせていた映画館の看板があった場所。祖父母の最期を見送った集会場。団地の中心にあるショッピングセンターは7割近くが介護関係のショップやケアハウスに変わっていた。

 子供の頃、少ない小遣いで買い食いをしたお肉屋さんで手作りのコロッケを買い、川縁で拾ったジュース瓶を買い取って貰っていた酒屋さんで缶ビールを買って、団地の中の小さな公園でブランコに揺られた。誰もいなかった。蝉の合唱だけが辺りを包んでいた。人気のない団地のベランダから、母親の作るカレーの匂いが漂って来たような気がした。

小原信治
投稿時間:2014-08-14 18:40:11
 
8月7日 小原信治の草の根広告社
『裸の王様』
 
 8月6日、広島の平和祈念式典で子供たちが「平和への誓い」を読み上げていた。
 この時期、日本の子供たちの多くが戦争の愚かさについて学び、考える。そしてこんな風に思う。
「誰も殺したくないし、誰にも殺されたくない」
 僕だって子供の頃はそう思っていた。この国の偉い人たちも、今も炎天下で銃を持って人を殺す訓練をしている人たちも、そんな武器を作って売買している会社の人たちも、誰だって子供の頃はそう思っていたはずだ。

「誰も殺したくないし、誰にも殺されたくない」 
 もちろん今だってそう思っているけれど、税金を納め、そのお金が人を殺す武器を買う軍事費の一部に当てられている。それをいいことだなんてこれっぽっちも思っていないけれど、「人殺しの道具を買うのに使われるのは嫌だから税金は払いません」とも言えない。言いたいけど言わないのは税金を払わずに捕まるような覚悟も今はまだないし、何より税金は困っている人を助けるなど他のことにも使われているからだ。と説明したところで言い訳にしか聞こえないだろうし、何より子供の頃の僕なら間違いなく「そんなの矛盾してるよ」と言うだろう。

 特にこの時期になるとよく考えるのだけれど、清濁合わせ持つことが本当に大人になることなんだろうか。子供に「どうやったら戦争がなくなると思う?」と訊いたら、こんな風に答えるだろう。「世界中の大人が武器を捨てれば戦争はなくなるんじゃない?」「中には子供の頃から銃を持たされている国もあるんだけど」「じゃあ世界中の大人が武器を作らなければいいんじゃない?」
 なんてことを考えるたびに、清濁合わせ持ったつまらない大人になるくらいなら、子供のままでいいとさえ思ってしまう。たとえ青臭いバカと言われようとも。というより死ぬまで青臭いバカと言われていたい。
「どうして世界中の偉い人は軍事費をゼロにできないんですか?」
 たとえば、そんな青臭いことを正々堂々と国連で質問できるような。

 70年代、97歳で亡くなる直前まで核廃絶に身を投じたイギリスの哲学者であり、ノーベル平和賞を受賞したバートランド・ラッセルという人のこんな言葉に最近読んだ本で出逢った。

『愛国心とは、つまらない理由のために殺したり殺されたりする意志のことだ。
 人類を救う唯一手段は『協力』しかない』
 
 震災以降、この国では正しいことを言いにくい空気が日増しに強くなっていると感じる。そしてその空気を作っているのは権力だけじゃない。僕たち自身でもある。炎上だとか、厄介な奴だと思われたくないとか、せっかくみんながひとつになって頑張ろうってときに水を刺すんじゃないよ的な空気が日々の生活にもどんどん広がっている。僕は「絆」とか「愛国心」って言葉が胡散臭くて大嫌いだけど、それだって震災直後は大きな声では言えなかった。

 そんな大嫌いな国にキチンと税金を納めているというだけでも、45歳の僕はもはや清濁合わせ持った大人になってしまっている。だからこそ間違っていることを間違っていると正直に言える子供のような心と勇気だけはこの先どんな時代になっても、どんな迫害があっても失ってはならない。持ち続けなればならないと思う。「王様は裸だよ」と言った子供のような汚れを知らない正直さだけは。

 8月6日、広島の平和祈念式典で、裸の王様が「平和への誓い」を読み上げていた。
「おかあさん、おかあさん、えらい人のお話し、去年のコピペみたいだよ」

小原信治
投稿時間:2014-08-07 22:28:57
 
7月31日 小原信治の草の根広告社
『RESTART』
 
 東北の海に子供たちの笑顔はまた戻って来るんだろうか。
 あの年の夏以来ずっと、頭の片隅にそんな想いがあった。毎日海を見ながら暮らしているせいもあるのだろう。海を見るたびに、その向こうに広がる、かつて旅した大西洋や地中海とともに、たくさんの命を奪った東北の海を思っていた。何ができるわけじゃないけれど、自分が大好きな海を誰かに嫌いになって欲しくないという半ば身勝手な想いがあった。

 今年の夏、東北に震災以来初の海開きをする海水浴場があることを知った。とある番組の会議で、その海の話をした。そしておこがましくも提案した。4年振りの海開きに「歌」を届けることはできないだろうかと。もしもまだあの海に近づきたくないという方がいたとしても、たとえばその「歌」を聴く為だけでも来てくれたら、それはまた海に戻るひとつのきっかけになるのかもしれない。想像に過ぎないけれど、そんな風に思ったのだ。そこにはこの4年間想うだけで何もできなかった自分に対する罪滅ぼしみたいな気持ちもあった。

 2014年7月26日、岩手県大槌町の吉里吉里海岸海水浴場で震災以来初めての海開きがあった。アイヌ語で「白い砂浜」を意味する「キリキリ」の名の通り、白い砂浜が広がる美しい海岸だ。その海開きの日に、ある大御所バンドが「歌」を届けて下さった。その模様は、今週土曜TBSで13時間に渡ってお送りする『音楽の日』という番組の中で放送される。

 この4年間、地元の皆さんの想像を絶する踏ん張りのおかげで、白い砂浜にもう一度戻って来た子供たちの笑顔を、同じ海を見ながらその夏を待ち続けていたひとりとして、しっかりと見届けたい。

 そして、東北といえばもうひとつ。今日発表のあった11月からの『福山☆冬の大感謝祭 其の十四』。最終公演は2011年のツアーで一時中止となった「宮城セキスイハイムスーパーアリーナ」。11月にようやく開催できた振替公演から4年。色んなことがあの時より少しでも前に進んでいると信じたい。すべての人が「当たり前の日常」を取り戻すにはまだまだ時間が掛かると思うけれど。

小原信治
投稿時間:2014-08-01 08:19:19
 
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