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魂ラジブログ
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小原信治の草の根広告社     過去の「小原信治の草の根広告社」はこちら
9月18日 小原信治の草の根広告社
『晩夏』
 
 「晩夏」という言葉がぴったりくる日々が続いている。
 騒がしかった浜は静かになり、誰もいなくなったそこに風が毎日せっせと秋を運び込んでいる。理由もなく淋しさが込み上げる夕暮れ時はビーサンではもう寒い。

 晩夏。
 人はこの季節をどんな風に過ごしているんだろう。冷えたビールのおいしい夏でもなければ、食欲の秋にはまだちょっと早く、たまにガラにもなく人恋しくなったりするこの季節が、最近割と嫌いじゃない。
 
 なんて、やがて訪れる季節の仕込み仕事の合間、仲間の結婚披露宴の出席葉書を投函しに行く道すがらに、つらつら思ったことをゆるゆると書き綴ってみた。

 そういえばさっき、部屋の片隅で、やり損なった花火を見つけた。

 そういえばさっき、この『草の根広告社』を最初に書いたのが2004年の6月だったと知った。なんだかんだで、もう10年だ。

小原信治
投稿時間:2014-09-18 20:44:19
 
9月11日 小原信治の草の根広告社
『かあちゃん財布』
 
 夏が始まる前に書いた「かあちゃん財布」です。

 この夏、たいへんお世話になりました。

 ありがとうございました!

小原信治
投稿時間:2014-09-11 21:19:52
 
9月4日 小原信治の草の根広告社
『2029年8月31日』
 
 8月31日は、海へ行く。
 子供の頃の、数少ない夏休みの想い出だ。子供を三人も連れてシーズン中の混雑した海に行くのは面倒だし、海の家はお金が掛かるからと、母は毎年夏休みが終わる8月31日にだけ、僕らを海に連れて行ってくれた。お盆過ぎに海の家が片付けられてしまった誰もいない砂浜で、母の握ったおむすびと卵焼きと唐揚げを冷たい麦茶で流し込んだ。誰もいない海をひとり占めしているような気分で、日が暮れるまで波と戯れた。同級生のほとんどが宿題に追われていて気づいていなかっただろうけど、僕が子供の頃、8月31日はいつだって晴れだった。そして、8月31日だけは真夏の暑さがこっそりと戻って来ていた。それは夏休みの宿題を早く終えた子供にだけ、太陽がくれた御褒美みたいだった。ただひとつ残念なのは、夏休みの絵日記はすでに書き終えていた為、そんな8月31日の素晴らしい想い出を書くことは、一度もなかったこと。1970年代の終わりから80年代の初めの頃の話だ。

 あの夏から30年以上が経った8月30日。『魂ラジ』で2029年についてメールを交えながら話をした。少子高齢化とか食糧難とか環境破壊とか、消えてゆく仕事などの話題も多かったせいだろう。10代のリスナーから「将来が不安になった」「どんな進路を選べばいいのか分からなくなった」というメールも多数届いていた(※今週、改めて取り上げる予定です)。

 あの8月31日、誰もいない海でくたくたになるまで波と戯れていた10代の僕は、未来をどんな風に感じていたんだろう。そこに抱いていたのは希望だろうか、絶望だろうか。そんなことを改めて思い返した。
 
 世界全般に関していえば、未来には車が空を飛んでいると思っていた。これは希望。でも同時に、1999年の7月に世界は終わるというノストラダムスの大預言を信じていた。当時はアメリカとソ連(※今のロシアね)が水爆実験を繰り返しながら睨み合いを続けていたから、あながち現実味のない話でもなかった。じゃあそんな絶望的な未来も見える時代に生きていた自分自身の将来に関してはどう思っていたんだろう?希望はあったんだろうか?絶望しかなかったんだろうか?或いはどちらでもなかったんだろうか。改めて思い返してみる。

 僕は子供の頃、「今」が好きじゃなかった。転校先で「あること」をからかわれ、不登校を経験して以来ずっと、学校という集団には一度も馴染むことができなかった。同級生はみんな「くだらないガキ」だと「今」を楽しめない自分への負け惜しみみたいに毒づきながら、1日も早く「自由」な大人になりたいと思っていた。

 そういう意味では未来ばかり見ていたのかもしれない。でも、そこに具体的な進路やビジョンは何ひとつなかった。唯一、具体的に考えたのは、父の通勤鞄に入っていた『息子をサラリーマンにしない法』というタイトルの本を見つけた時かもしれない(※今になって調べたら、1975年に出版された石原慎太郎さんの著書だった。当時も今も僕自身は読んでいないので中身は知らない)。なんとなくだけど、毎日通勤地獄に縛られていた父親のようなサラリーマンは思い描く「自由」な大人ではないと、将来の選択肢から外したくらいだ。
 
 そう考えると、僕が抱いていた自分の将来であり進路は「自由」という二文字だけだ。今みたいに情報が氾濫していなかったことも功を奏したのだろうが、そこに将来、世の中がどうなっているかなんて枷は少しも感じていなかった。信じていた1999年の世界の終わりさえも不安材料ではなかった。今より平和で幸せな世の中だったのかもしれないし、バカなだけだったのかもしれない。そして、そんな漠然とした未来予想図だけで、気がつけば45歳まで辿り着いてしまった。
「自由になりたい」。
 子供の頃に抱いたその想いは、45歳になった今も変わってはいない。

 そんなことを改めて考えた魂ラジの翌日、海へ行った。2014年8月31日の海だ。温暖化が進んでいるせいか、あの頃と違って海の家は営業中だったし、海水浴に訪れている人もチラホラいた。僕は砂浜に腰掛け、冷たいビール片手に、2014年8月最後の夕陽が海の向こうに沈むのをずっと見ていた。世界が終わると信じていた1999年7月が「過去」となってから15年以上が経っている。そして、同じ夕焼けを見ていたあの8月31日、夏休みの宿題を片付けてしまっていた僕は、誰よりも自由だったことを思い出した。

 良い年して無責任だとか、脳天気だとか批難されるかもしれないけれど、2029年の8 月31日も、この海で誰よりも自由を感じることのできる自分でいたい。思い描く未来が相変わらず漠然としたものであることに呆れつつも、今となってはそんな自分のタフさが誇らしくも感じられた。

小原信治
投稿時間:2014-09-04 23:36:40
 
8月29日 小原信治の草の根広告社
『未来の種』
 
 「ひまわり」
 今週「魂のリクエスト」でたくさんのリクエストの中から、福山さんはこの歌を選んだ。毎年、夏が終わる頃になると、季節の便りのように全国から寄せられるようになった「未来の種」にまつわるリクエストだ。1年ごとに、そこに記された「何代目」の数字がひとつずつ増えている。 

 「未来の種」。
 御存知ない方の為に説明しておくと、今を遡ること12年前、2002年に放送されていた福山さん初のレギュラーTV『福山エンヂニヤリング』という番組(僕も構成で参加させて頂いていました)の中で育てた「ひまわり」から採った種だ。きっかけは福山さんが前川清さんに書き下ろしたシングル「ひまわり」のヒット祈願にと種を植えたこと。番組では毎週成長記録を紹介、大輪の花が見事なひまわり畑を作った頃に番組は終了を迎えた。

 9月の最終回には畑で追熟させたひまわりから、福山工場長(福山さんです)とテリー工場監督(レギュラー出演者のテリー伊藤さんです)が種を収穫。お世話になった人たちにプレゼントして回った。その際、種を袋詰めするにあたってつけた名前が『未来の種』(と書いて実は「ひまわり」と読みます)。「完全手作りの芋焼酎」や「1万円バンド」等など、福山さんが番組を通じて表現し続けてきた「モノ作りの楽しさや喜び」を番組が終わった後も語り継いでいけたら、繋いでいけたらという想いでそう名付けた。そして、その『未来の種』は番組を応援して下さった1000名の方に届けられた。福山さんが最終回で弾き語りをしてくれた『友よ』という歌とともに。

 その後、最初の1000人が植えた『未来の種』が花を咲かせ、次の種を生み、その種がまた別の誰かに渡って、別の土地で花を咲かせているという話は少しずつではあるが、確実に僕らの耳にも入っていた。ある年は福山さんのファンクラブの会報から、ある年は魂ラジに届くリクエストメールから。それは今みたいにネットが発達していなかった時代から水面下でじわじわという感じで広がり、気がついたら12年もの月日が流れていた。「未来は来るモノではなく、創るもの」。『未来の種』に託した「モノ作りの楽しさと喜び」がこんな風に拡がってゆくなんて、2002年の僕らは果たして想像していただろうか。

 そして、この夏、もっと想像していなかったことがあった。
 それは、僕自身が巡り巡って手にした『未来の種』を蒔き、花を咲かせたということだ。その種は去年の秋、魂ラジ宛に届いた12代目の花から採取されたものだった。送って下さった方も、11代目の花から採取した種を分けて貰い、初めて植えたんだそうだ。

 夏が始まる前、自分の畑にその種を蒔いた。2002年に番組のみんなで最初のひまわりの種を蒔いた時のことが甦った。思えばあれが僕にとって初めての農業体験だった。33歳だった。まさか12年後、当時から憧れだった海の見える家で暮らし、畑を耕しているなんて、当時の僕は想像もしていなかった。

 あれから12年。僕は潮風薫る自分の畑で、あの夏のひまわりと12年振りに再会した。いろんなことが甦った。2002年の9ヶ月間、あの場所で出逢い、同じ時間を過ごしたたくさんの人たちの顔を思い出した。その中には、もう二度と逢えなくなってしまった人もいた。

 同じ遺伝子を持つひまわりの花をこの夏、全国で何人の方が見上げているのだろう。1000人から始まった『未来の種』。僕は自分の畑で花を咲かせた13代目のひまわりを見ながら、この12年間、その命を繋ぎ、拡散し、育て続けてくれた人たちに心から感謝した。種を植えて来たひとり一人にいろんなドラマがあったのだろう。ひとり一人がいろんな想いで種を蒔き、水をやり、花咲かせて種を採り、その命を繋いで来たのだろう。いつか機会があれば「未来の種」を植えた人たちのそれぞれのドラマも伺ってみたい。

 「過去を歌う、現在を語らう、未来を作る。」
 『福山エンヂニヤリング』という番組はとっくに終わってしまったけれど、そこにあった『想い』は確実に今も生き続けている。いや、その生命を繋いで貰っている。未来は今も育てられ続けているのだ。『未来の種』を手にしたすべての人たちの手で。

 そのことへの感謝と同時に、僕はあの9ヶ月間が、いつの間にか遠い遠い忘れられない青春の1ページになっている事実に改めて気づかされて、鼻の奥が少しツンとなった。

小原信治

追記
 未来といえば、明後日8月30日、60周年リスナー大感謝ウィークの魂のラジオは、題して『ぼくと2029年の話をしよう!』。60つながりということで、福山さんが60歳になる15年後の2029年、世の中はどうなってる?ラジオは?そして、あなた自身はどうしてる?どうなっていたい?というわけで、福山さんが60歳を迎える「2029年のあなた自身へのメール」をお待ちしています。

メールは
masha@allnightnippon.com
たくさんのメールお待ちしています。
投稿時間:2014-08-29 09:08:19
 
8月21日 小原信治の草の根広告社
『それは、僕らの命も守るため』
 
 「先月、念願の山羊を飼い始めました」
 広島からそんなメールが届いたのは、先週のことだ。送り主は広島楽器センターの堂願さん。2009年、2011年と福山さんのツアーで広島を訪れた際、ライブ会場でCDを売って下さった堂願さんは、全国のCDショップをキャンペーンで回っていたデビュー当時の福山さんと撮った写真をブレイク前から20年以上お店に飾って下さっていた、元サッカー日本代表の岡田監督似の素敵な方だ。
「実はレコード店の傍ら、広島の山奥で棚田をやってるんですよ」というお話しを伺って以来、たびたびメールを下さったり、魂ラジ宛に貴重な棚田米を送って下さったりしているのだ。

 そんな堂願さんから先週届いたメールには、念願の山羊を飼い始めたことや、いずれ山羊の乳を搾ってチーズを作りたいという里山での夢が綴られていた。
 その返事を書こうと思っていた矢先、一昨日の未明に起きた土砂崩れの一報が届いた。堂願さんの棚田は中国山地のさらに奥にある限界集落のようなところだと訊いていたので直接の被害には遭われていないと思ったものの、あの大雨で棚田や山羊がどうかなってしまったのではないかと慌ててメールした。
 すぐに「当方は大丈夫です」というお返事が届いた。だが、梅雨明けしてから毎日が梅雨のような雨、日照時間も少ない冷たい夏のおかげで、実りつつある稲穂を心配している日々なのだという。

 大丈夫だろうと思ってはいたけれど、直接無事を確認して心から安心した。しかし、大切な人や日常を失った方々はまだどうしていいか分からず途方に暮れているだろう。現地では今この時も行方不明の方々の捜索が続いている。今後も激しい雨が降ると予想されている。まだまだ予断を許さない状況が続いている。広島だけじゃなく、長崎でも大雨による土砂災害が起きている。そして、この日本のどこで、いつ同じようなことが起きてもおかしくないとさえ言われている。

 僕の住んでいる場所は海と山に挟まれている。おかげで真夏でも涼しい風が吹き抜け、内陸のような酷暑ではないけれど、今は味方となっているその自然が一度牙を剥くと勝ち目のない敵になることを僕らは嫌というほど見て来た。4年前の震災時に発令された津波警報の際の避難場所となった近隣の山には同時に土砂災害危険区域も存在する。もしも土砂崩れと津波が一度に襲って来たら、もはや逃げ場がない場所なのだ。 

 まだ原因や過去の過ちを検証しているときではないけれど、そういったリスクを強く肝に銘じながら、自然というコントロールできないものと上手に折り合いをつけられる「これからの文明のあり方」や、その中での自分なりの生き方やしあわせをこれからも模索し続けていくしかないのだと、そして、たとえ小さなことでも「今日からでもできること」をひとつずつ積み上げてゆくしかないのだと、改めて感じさせられた。

 たとえば、子供でも知っているが、強い根を張った大木は、地盤を強くしてくれるだけでなく、雨水を吸い上げ、大気に放出してくれる。緑の葉は空気を浄化するだけでなく、夏の放射熱を遮り、適度な通風もくれる。そんな大木が育つには数十年掛かるし、適宜手を入れていかなければならないけれど、今日苗を植えなければ始まりもしない。

「自然と共に生きてゆく」
 僕たちはもう、その一番良い方法を考えたり議論しているだけじゃダメなところまで、取り返しのつかないところまで追い詰められている。たぶん、とっくの昔に。そして、それが自分たちの命を守ってゆく為に絶対に必要なことだと、誰もが気づいているし、分かっている。なのに、他に何を守ろうとしているんだろう?

小原信治

 亡くなられた方々のご冥福と、行方不明の方々の少しでも早い救出、そして被災された方々が1日も早く日常に戻られることをお祈り申し上げます。
投稿時間:2014-08-21 21:03:47
 
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