福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル 魂のラジオ 毎週土曜日23時30分から25時までオンエアー。
魂ラジブログ
2015年1月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カテゴリー
・すべて表示
・魂ラジレポート
・福山雅治インフォメーション
・魂ラジインフォメーション
・最愛
・5年モノ
・スタッフ日誌
・小原信治の草の根広告社
 
ニッポン放送がインターネットで聴けます!!
小原信治の草の根広告社     過去の「小原信治の草の根広告社」はこちら
1月29日 小原信治の草の根広告社
『空想の人生』
 
 旅の空の下、ふとした瞬間に、ここで生まれ育っていたらどんな人生だったんだろうと、ありもしない空想に耽ることがよくある。

 先週の福井でも、ホテルとコンサート会場とを往復するタクシーの中で、ぼんやりとそんなことを思った。
「福井で働いてる人間は、家建てないと一人前と見なされないんですよ」
 タクシーの運転手さんがそう教えてくれた。確かに車窓にアパートやマンションの類は殆ど見当たらなかった。見渡す限りの平野には一軒家と水田、そして遠くには雪山が連なっていた。
「まあ、土地がびっくりするくらい安いからなんだけどね」
 確かに都会と比べればそうなのだろう。しかも中小企業の本社がたくさんあり、正社員率も日本一高い。普通に働いているだけで、誰もが無理なく家を建てることのできる環境があるのだという。

 僕は米軍機が頭の上を横切る神奈川のマンモス団地で育った。そこでは多くの人が働いてお金を貯めて、余所に一戸建てを買うことを夢見ていた。頭金の貯まった家族から一抜け、二抜けと余所に転居してゆく、子供心にあからさまな経済格差を意識させられざるを得ないコミュニティだった。
「ずっとここにいたら、ダメになる」
 いつしか僕自身も、そこを出て「ここではないどこか」を探し求めた。自分の本当の人生のある場所を探す旅だ。そして、海の見えるこの場所に移り住んでもなってもなお、その旅は終わっていない気がしてならない。人は生まれた場所を選ぶことはできないけれど、人生を終える場所は自分自身で探し出し、決めることができるからだ。生まれ育った場所が気に入らなかったのであれば、なおのこと。

 そんなことを思っていた僕に、タクシーの運転手さんが言った。
「同じ北陸でも金沢や富山と比べて、新幹線が来ると仕事が東京に流出するから嫌だって人間も福井には多いんだよね」
 福井に感じた心地良さというか、地に足のついた幸福感は、グローバリズムという怪物に飲み込まれる前の日本だったのかもしれないと思った。そして、ここで生まれ育っていたら、「ここではないどこか」を探し続けるという終わりのない旅に出たりしただろうか。生まれ育った場所に疑問も不満も持つことなくずっと同じ場所で暮らすことができたらどんな人生だったのだろう。

 兎にも角にも、1994年に「福山雅治のオールナイトニッポン」で構成作家をやるようにならなければ、そして、福山さんから全国ツアーに誘って貰わなければ、日本全国ここまで色んな場所を旅させて貰うことはなかっただろう。そして、これほどたくさんの場所で、ここで生まれ育っていたらなんて、空想することもなかっただろう。
 
 手に入らなかった幸せと、手放してしまった大切なものを思い出して、少しだけ切なくなる、そんな空想に耽ることも。

小原信治
投稿時間:2015-01-29 23:43:52
 
1月22日 小原信治の草の根広告社
『本当に大切なものは何なのか』

 気がつけば最近、ビートルズばかり聴いている。
 冬の冷え込みが堪えるからだろうか。年を取ったからだろうか。或いは殺伐としたニュースばかりで、少しでも心に刺激を掛けたくないという無意識の防衛本能からなのだろうか。それとも…。

 阪神淡路大震災から20年が経った。僕にとっては、大阪で揺れを体験したあの日の朝から、20年の月日が経ったということでもある。そして僕自身にとっては、それまでの人生以上に「自分にとって本当に大切なものは何なのか」を割とシビアに考え続け、Try&Errorを繰り返して来た20年だったように思う。

 先日NHKで、新長田の復興に尽力した元・行政担当者の方がこの20年を振り返るドキュメンタリーを見た。何ができて、何ができなかったのか。そこから学ぶべきことは何なのかを可視化することがテーマだった。

 本来、町の復興とは行政と住民が話し合い、折り合いをつけながら進めてゆくべきものなのだろう。でも、とことんまで話し合う時間よりも、復興のスピードが優先されたように感じた。勿論そこには一日も早く仮設住宅を失くすという目的があったし、災害に強い安全な町を作るという行政側の正義があった。
 結果、商店街を中心に焼け野原となった新長田は災害に強い安全な町になった。でも、そこで暮らしていた住民たちのコミュニティや商店主たちの商売まで守れたとは言えなかった。

 そんな20年の振り返りを受けて、そして、その後に起きた東日本大震災を受けて、ある識者の方がこんな風に締め括っていた。 
「これからは防災計画だけではなく、復興計画についても、災害が起きる前か
 ら行政と住民との間でしっかり話し合っておくべきだろう」と。

 「この町にとって本当に大切なものは何なのか」
 もちろん、そこに生きる人たちの命が最優先だ。でも、命の次に大切なものは行政と住民とでは違うだろう。そこで暮らしているだけの人と商売もしている人とでも違うだろう。だからこそ、その話し合いに折り合いをつけるのにはとてつもない時間を必要とする。でも、何もかもが失われてからその話し合いを始めたのでは復興のスピードが遅くなる。だからこそ、災害が起きる前から、
「町の復興計画」を話し合っておくべきだと。何があってもここで生きてゆく、と覚悟しているなら尚のこと。

 「自分にとって本当に大切なものは何なのか」
 この20年、割とシビアに考え続け、現時点で選び取った大切なものを、ひとつひとつ再点検しながら、今夜もビートルズを聴いている。今の僕にとって大切なもののひとつである、波の音とともに。
 どうしてか言葉ではうまく説明できないけれど、物事をシンプルに考えたいときに、ビートルズは向いているのかもしれない。
  
小原信治
投稿時間:2015-01-22 21:26:37
 
1月15日 小原信治の草の根広告社
『バカになったのに』
 
 成人の日が1月15日だった頃の話だ。
 駆け出しの放送作家だった僕は、成人式当日も当然のように仕事だった。テレビ番組の作り方をイチから学ばせて頂いた日本テレビ『天才たけしの元気が出るテレビ』の企画で、頭に赤い象のジョウロをつけたラッキィ池田さんと小学生ダンスチームのオーディションだったように記憶している。この組み合わせが25年後に『ようかい体操第一』という大ヒットを生むとは当時誰ひとりとして思っていなかったかもしれない。

 なんてことはさておき、それでも両親がこの日の為に揃えてくれたスーツには袖を通した。地元神奈川の成人式会場前までも行った。久し振りの同級生数名と挨拶もした。でも、そこで東京に向かう電車に乗らなければならない時間だった。会場に吸い込まれてゆく同級生たちに背を向け、僕はひとり仕事に向かった。電車の中でTheピーズの「グレテイストヒッツVol.1」(これがデビューアルバムのタイトル)を聴いた。一生に一度の成人式なのに残念だなんて気持ちは微塵もなかった。スーツを揃えたくれた両親には申し訳なかったけれど、むしろ、成人式に出ている時間が勿体ないとさえ思っていた。成人式に出る暇があったら、働いて稼いだ方がいい。籍を置いていた大学を出たところで先は見えている。みんなとは違う道を全速力で走って、誰とも違う大人になってやるんだという想いがあった。アルバムのラストナンバー「バカになったのに」が沁みた。

 仕事を終えたその夜、ともに20歳だった当時の彼女と、彼女の女友達が食事に誘ってくれた。二人は地方から大学進学の為に東京に出て来ていたので地元の成人式は正月休みに済んでいた。せっかくの成人の日だから、と新宿のBarで何杯かウイスキーを飲んだ。

 その後、二人を誘って歌舞伎町で「成人映画」を観た。三本立てだった。今思えばよくつきあってくれたと思うけれど、当時はとても自分らしい成人の日だと、その思いつきに胸を高鳴らせていた。成人式に出たみんなとは違う道を全速力で走っているような、誰とも違う大人にまた一歩近づいたような気がしていた。成人してずいぶん経つけれど、映画館で「成人映画」を観たのは今のところ、あれが最初で最後だ。

 1990年1月15日。あの夜から、今日でちょうど25年だ。

小原信治
投稿時間:2015-01-15 22:04:28
 
1月8日 小原信治の草の根広告社
『本当は何が正常で、何が異常なんだろう?』

 10年ほど前、とあるテレビ番組の撮影でサハラ砂漠まで旅をした。
 その長い道中、ヨーロッパの観光客で賑わう比較的高級なホテルのレストランで牛肉料理を食べた。少し腐っているような感じがしたので日本人の僕たちはひと口でやめたけれど、周りの観光客は皆、楽しそうに食べていた。そこから少し砂漠に近づいたところの小さな露天市場では、牛が一頭丸ごと吊られ、常温のまま切り売りされていた。切り口には当然のごとく蝿がたかっていた。さっき食べたのこの肉じゃないよな、と思ったときには既に、ホテルで食べた牛肉は胃袋に到達していたのだろう。その夜、サハラ砂漠のど真ん中に建つロッジで、僕を含めたクルーの、ほぼ全員が激しい食中りと高熱にうなされた。
 
 翌日、帰りに立ち寄った別のホテルのレストランでは、ディレクターがメニューを持って来てくれたボーイさんにキッチンを貸して欲しい、と頼んだ。そこにある安全そうな材料を使って自分たちでチャーハンか何か作ろうと考えたのだ。でも、甘かった。食材以前の話だった。僕らは料理の前に、不衛生極まりない(あくまで日本人のレベルで、という話だ。)包丁やまな板を消毒することから始めなければならなかったのである。

 丸2日間、ぬるいコーラぐらいしか口にできないままサハラ砂漠の旅を終え、カサブランカの町に戻った僕らが、ようやく安心して食べられるものがあった、とすぐさま飛び込んだのが、かの世界的ハンバーガーチェーンだった。911の数年後だったので、イスラム圏に資本主義経済の象徴ともいうべきその赤と黄色の看板を見つけたことに驚きつつも、僕らは空腹を満たしたい一心で、ハンバーガーとポテトにむしゃぶりついた。太るからという理由で日本にいるときはほとんど食べなくなっていたファストフードだったが、学生時代によく食べていたのと何ら変わらぬ味だった。そして、空腹が満たされた後で、日本とは似ても似つかぬ風景を見渡して、改めて思った。日本で食べるのと味も形も寸分違わぬハンバーガーが、サハラ砂漠に近いこの町で食べられてしまうことは、飢えた僕らにとっては感謝すべき奇跡だけれど、実はとても異常なことなのかもしれないと。

 あれから「食の安全」という言葉が取りだたされるたびに、僕は考える。
「本当は何が正常で、何が異常なんだろう」
 
 あの値段で世界中どこでも同じ味のハンバーガーが食べられることは果たして正常なことなのか、異常なことなのか。今まで何億もの人が食べているのに、異物混入こそあれど、ひとりの死者も出していない(少なくとも死者が出たという話は聞いたことがない)のは奇跡なのか、当然なのか。安い金で時間と手間を省き、食の安全をも求める僕たち日本人の消費者様感覚は正常なのか、異常なのか。そんな消費者様の胃袋を満たす同じ味の同じ形の食べ物を作る為にあれほどの人が働いているあの工場の風景は果たして正常なのか、異常なのか。

 過熱する報道を見ながら、でも、自分が当事者だったら、という想像もしつつ、そんな経済社会を出来る限り肯定もしつつ、自分の中の「異常」と「正常」のモノサシで、何が本当に正しいのかを、冷静に検証する。

 「食の安全における正常と異常」。
 僕は太るから基本的にファストフードは食べない。値段が安すぎるものは怖いから食べない。可能な限り、食材から作っている人の顔が見えるものを、作ってくれた人に感謝しながら食べることが、僕自身にとっての正常になりつつあるけれど、それだって別の価値観を持っている人からみれば、とても異常なことなんだろう、と自戒しながら。

小原信治
投稿時間:2015-01-08 22:47:05
 
12月25日 小原信治の草の根広告社
『楽しませることを本気で楽しむということ。』
 
 「学園祭の楽しさが忘れられずに、この業界に進もうと思ったんです。」
 講師をさせて頂いているエンタメ系の学校で学生たちに話を聞くと、そんな志望理由が返ってくることがある。同じ事を就職試験で答えたら、面接官の中には「仕事は遊びじゃないんだよ。」とか「学生気分じゃ仕事はつとまらないんだよ。」と眉をひそめる人もいるかもしれない。でも、それはとても大切なマインドだと、改めて思う。

 16年目、14回目となる今年は静岡、松山、広島と旅して、いよいよホームグラウンドであるパシフィコ横浜に帰ってきた『福山☆冬の大感謝祭』。普段は机の上や会議室でばかり「モノ作り」をしている僕にとって、ライブというのは、「お客さんの顔が見える」、そして、エンターテインメントにおけるモノ作りにおいて忘れてはいけないことを改めて刻み込ませてくれる、貴重な現場のひとつだ。

 そこで毎年体感しているのが「楽しませることを本気で楽しむ。」という絶対に忘れてはいけない、いや、無意識にそのスイッチが入っていなければならないマインドだ。でも、これがなかなか難しい。大感謝祭の現場が、というわけじゃないけれど、プロとして年数を重ねるほどに、ふと我に返ると、それを仕事としてこなしてしまっている自分がいる。でも、仕事を仕事としてこなしているだけでは、誰かを心から楽しませることはできないのだ。

 23日の男性限定ライブ「野郎夜」と24日の女性限定ライブ「しちゃわnight」は改めて振り返ると、そんな「楽しませることを本気で楽しむ」スイッチがいつも以上に入っていた現場だったと思う。参加して下さった「男同士の秘密」であり、「聖女たちの大切な想い出」なので、内容についてはここでは一切書かないけれど、この2日間、僕らはまるで、初めての学園祭に取り組む、工業高校の男子生徒みたいだった。もちろんライブの本質である「音楽」を聴かせる、見せるという部分は日本でも指折りのプロフェッショナルたちばかりなので、それ以外の部分において、という意味だけれど。

 23日に、スタッフであるにもかかわらず、気づいたら一緒に歌い、泣いていた理由のひとつには、そんなことも挙げられると思う。もちろん、今はまだ、言葉にはしたくない様々な想いもあるのだけれど。

 24日にだって、「今日、隣りの女子校から女子がわんさか来るんだって」「どうやって楽しませよう?」「つーか、女子ってどうすれば喜ぶの?」「かわいい子いるかな?」「バカ、おめえなんか相手にされるわけねえだろ」なんて会話こそしていないけれど、現場にはプロの仕事場にある「大人の緊張感」と学園祭の「ワクワク感」が、いつも以上に良い意味で共存していた。

 それは、何よりチームを引っ張っている福山さん自身が、いくつになってもギターを持つだけで、学園祭でライブをやっていたときと同じ、少年に戻っているからかもしれない。野郎どもとばかりつるんでいた、女の子が苦手な、童貞マインド全開の工業高校生に。そう、「楽しませることを本気で楽しんでいた」、アマチュアの頃の自分に。

 学園祭の楽しさがやみつきになって、エンタメ業界に進もうと思っている10代のあなた。「学園祭の楽しさ」の本質にあるものは、「人を楽しませることを自分自身が無意識のうちに本気で楽しんだこと」です。どうかプロになってもその気持ちを決して忘れないで下さいね。と、10代の時は同級生たちを冷めた目で見ていて、学園祭を楽しんだ経験のないまま大人になってしまい、少しだけ後悔している自分にも言い聞かせる、45歳の僕なのです。

 そして、大感謝祭。横浜シリーズは、まだまだ続きます。
 
 ネタバレを含め、お話しできるのは来年以降になりますが、魂ラジでは「野郎夜」と「しちゃわnight」に参加したあなたの感想や質問もお待ちしています。

 あ、今年これで終わりだ。1年間読んで下さった貴重なあなた、ありがとうございました。2015年もよろしくお願いします。

 ハッピーホリデー&良いお年を!

小原信治
投稿時間:2014-12-25 22:06:07
 
古い方へ
Copyright © 2014 Nippon Broadcasting System, Inc. All Rights Reserved.