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2月6日 小原信治の草の根広告社
『ごはんがお腹いっぱい食べられるようになって、人はようやく心が空っぽになっていることに気づく。』
 
 10日間に渡った「冬の大感謝祭」のうち、今年も1日だけ、本番前に15分ほど会って話をした人がいる。先週番組で紹介した生徒達の手による横断幕を贈って下さったガッデム竹内さんこと住吉中学の竹内先生だ。去年も、そして一昨年も、自分でチケットを手配し、はるばる石巻から来て下さっているのだ。

「どうです、学校の方は?」
 来場者でごった返すロビーで僕がそう聞くまでもなく、竹内先生は住吉中学の復興状況を真摯に話してくれる。僕は、2011年の「THE LIVE BANGツアー」の青森公演の前に、そして2012年に同校の体育館で開催されたライブで訪れた時に歩いた校庭の水たまりや、体育館に残っていた生々しい津波の痕跡、浸水した図書館代わりに生徒たちが持ち寄った本が内窓の桟に並べられていた教室の風景なんかを思い返しながらその話を訊く。やがて僕らの話は今回も近いうちに大きな問題になってくる、いや、すでになっているであろう「心の復興」についてへとつながっていた。

 初めて「PTSD」という言葉を聞いたのは阪神淡路大震災の後だったと思う。被災して満足な食事すら取れない時はそれどころじゃないのだけれど、「ごはんがお腹いっぱい食べられるようになって、人はようやく心が空っぽになっていることに気づく」。非常に大ざっぱで申し訳ないけれど、その空っぽな心が引き起こす様々な症状がPTSDだ。最初は関西で被災した方々だけの問題だったが、震災の2ヶ月後に東京で起きた地下鉄サリン事件とともに、特に子供たちにとってはそれらを映像などで疑似体験しただけでも何らかのケアが必要だということになったと記憶している。

 そんな1995年以降の福山さんのオールナイトニッポンで毎週神戸から届くリスナーの皆さんの「生の声」を紹介しながら、「心の復興」について福山さんやスタッフのみんなで考えていた頃に読んだ書物に「心の復興」という問題が、時を遡って太平洋戦争の後にも、さらには関東大震災の後にも日本人にとっての大きな課題となっていたことを知った。

 「心の復興」。
 やり場のない理不尽な悲しみを人はどう昇華させればいいのだろう。空っぽな心を埋めてくれるものは何なのだろう。 
 たとえば福山さんは、そんな空っぽな心を少しでも埋めるためにと「歌」を届けて来た。それは新潟中越地震や東日本大震災が起きてしまった今だって変わらない。
 でも、それでも埋まらない穴があるという人も沢山いる。それは近年の幾つもの災害で大切な人を失くした心だけでなく、太平洋戦争前後で受けた様々な傷にさえ遡る。そして、忘れたいのに忘れられない傷を抱えながら生きている人の悲しみは、時にやり場のない怒りとなって、忘れかけた人々に投げられ、今も世界規模で様々な衝突をも引き起こしている。

 そういう大戦前後の「心の復興」すら未だ叶っていない現実を目の当たりにすると、東日本大震災はもちろんのこと、中越地震や阪神淡路大震災で人々が受けた「心の復興」はまだまだ時間の掛かる問題だと思わざるを得ない。自分がたずさわっているエンターテインメントが少しでもそういう心の穴を埋めてくれる何かになればという願いや希望は抱きつつも、それは決して簡単なものじゃない。

 
 僕の左頬のもみあげの辺りに10針もの大きな縫い傷がある。1歳の時、割れたグラスの切っ先で深く切ってしまったものだ。近所に住んでいた看護婦さんがたまたま非番で手早く処置してくれたのと、救急車の到着を待っていたら出血多量で命が危なかったところを、たまたま近所を巡回中だったパトカーが病院まで搬送してくれたことで、九死に一生を得たんだそうだ。
 もちろん、1歳だった僕自身には意識レベルでは何の記憶もない。物心ついた時には顔の半分くらいの目立つ傷があった。子供の頃は人に「どうしたの?」と聞かれるのが嫌だった。同じ事を繰り返し訊かれるのが面倒臭かった。かといって無視すると「猫に引っかかれたの?」なんてことをからかい半分に言う奴もいたので、「そうじゃないよ」とそういう奴が冗談すら言えなくなるような、傷が出来た時の血だらけで凄惨な現場を、さも見て来たように話していた。何度も何度も。
 そのうち、傷のことは訊かれなくなった。僕の盛り過ぎた凄惨な話が功を奏したわけじゃない。成長して顔が大きくなるにつれ、傷が小さく目立たなくなっていったのだ。傷というのは皮膚と一緒に成長して大きくはならないらしい。
 そんな頬の傷を改めて見ながら、心の傷もこんな風に成長するに従って、占める割合が小さくなればいいのにと思った。小さくなるだけで決して消えてしまうことはないだろうけど。

 それと、もうひとつ。 
「他の世界に逝くだけだ。だから死ぬのは怖くない」
 祖父が亡くなる少し前、24歳の僕は寝たきりの祖父から確かにその言葉を聞いた。という記憶だけがある。実は当時見た夢だったのかもしれないし、或いは生まれて初めて血の繋がった人が亡くなったという悲しみの中で読み漁った書物にあった一文だったのかもしれない。けれど「他の世界にゆくだけだ」という言葉はずっと僕の胸に刻まれている。
 これは、戦争や関東大震災からの「心の復興」を目指した民俗学者の柳田国男が書いていたことでもあるのだけれど、亡くなった人のことを「他界した」と言うのは広い世界の中でも日本独特の観念なんだそうだ。亡くなった人は他の世界に行っただけで、いつも身近なところにいる。だから、死ぬのは悲しいことではないのだと。

 そんな正解の見えない「心の復興」について、冬の大感謝祭の開演前ロビーで竹内先生と話しながら、毎年心配になるのは目の前の竹内先生自身のことだ。フルパワーで生徒たちのことを心配されている、ある意味非日常なうちはいいかもしれないけれど、やがて日常が戻り、ごはんがお腹いっばい食べられるようになったらと思うと…。もちろん、そのことも話したし、御本人も自覚されているということなのでここに書かせて頂いているわけなのだけど。

「今日ぐらい何もかも忘れて楽しんでっていいと思いますよ」
 僕がそう言うと、ガラス越しに広がる横浜の、石巻とはまるで違う海沿いの風景を見ながら「そうさせて貰います」と先生は顔をくしゃくしゃにして笑っていた。

 1ヶ月と5日後には、また、3月11日がやってくる。この広い世界のどこかで生きている誰かの、空っぽな心を少しでも埋める何かが生み出せるよう、明日からも、いや、今この時から、微力ながら言葉を紡いでいこうと改めて思う。

小原信治

追記 
タイトルと文中にある「(被災した人は)ごはんがお腹いっぱい食べられるようになって、人はようやく心が空っぽになっていることに気づく。」というのは、実は1995年の今日、つまり2月6日に26歳になったばかりの福山さんが誕生日の夜に放送したオールナイトニッポンで阪神淡路大震災を受けて話していた言葉でした(僕の記憶が確かならば。いや、確かなはずだ!)。とても印象的な言葉だったので19年経った今、改めて引用してみました。
 というわけで最後の最後になってしまいましたが、45歳の誕生日、おめでとうございます!
投稿時間:2014-02-06 23:19:07
 
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