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『願い』 |
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ふいに、農家のおばあちゃんに聞いた戦争の時の話を思い出した。
「今と同じだよ。畑でせっせと野菜作ってたよ。町に食べるものがないとか言ってたから、たくさん作ったよ」
都会から離れたその地には、爆撃機が飛んで来ることもなく、今ほど情報が入って来ることもなく、20歳前後だったおばあちゃんは今と同じように、淡々と畑の生命とだけ向き合っていたんだそうだ。そう言えば、東日本大震災の時もそうだった。僕の家より震源地に近い場所にもかかわらず、「ちょっと揺れたけど畑は待ってくれないからね」と休むことなくいつも通り畑に出ていた。そればかりか「町には食べるものがないんだろ?送ろうか?」と心配までされた。情報を遮断しているからなのか、それとも何があっても自分にできることは、やるべきことはこれだけと悟っているからなのか、何があっても決して動じないのだ。それが戦争でも、震災でも。
「自分が生きてゆく為に食べるものを自分で作っていれば、誰が総理大臣になっても、経済がどうなっても関係ない」
僕が農業に興味を持ち、沢山の農家さんと出会い、自ら畑で食べるものを育て始めた最初の動機はそれだ。関係ないということは、情報を遮断していても同じだということでもある。確かに田舎では情報を遮断していれば、今世の中で起きていることを実感しにくい。たとえば震災の後、スーパーやコンビニの陳列棚から水や食べものが消えたように、節電で薄暗い夜になったように、経済の浮き沈みがすぐに街の風景に現れる都会のような変化は今、僕が暮らしている海辺の町にはなかった。そもそも夜は暗いからさほど変わらなかったし、食べるものはスーパーやコンビニよりも近くて多い、畑や農家の直売所にいつも通りあった。水だってそうしょっちゅう買いに行けるわけじゃないから、常に大量の備蓄が自宅にあった。きっと一切の情報を遮断していたら同じ国内であれほどの被害が起きていることに気づかなかったかもしれない。ここで暮らしていて目の前で起きる変化といえば、海が凪いでるとか荒れてるとか、今だと山が紅葉したとか、至るところに夏みかんが生ってるとか、そういう自然の変化だけだ。店ができたり潰れたり、建物が建ったり壊されたりという変化も日常的には殆どない。日本の中心で、あるいは世界で何か大きな出来事が起きていても、情報を遮断していれば、目の前にあるのは海と、暖かな陽差しの下でのろまな時が過ぎてゆく冬の一日でしかない。そう、この小さな田舎町で暮らしている限りは。
今日は今年最後の休日だった。小雨降る午前中、机に身体を縛り付けて原稿を書いた後、午後は雨上がりの畑で春菊や長ねぎ、小蕪などを収穫し、生育途中の芽キャベツに追肥をした。その後、夕暮れの海沿いのいつもの道を10qばかり走った。そんな一日の中で僕にとって必要不可欠なのは、畑の健康な土を作ってくれる美しい山と川と海。そして生命を育ててくれる太陽。それと、走りながら肺にめいっぱい吸い込むキレイな空気だ。
今朝は美しい自然を札束で買い叩くような人間たちの姿をテレビで見て、不快な気分で一日が始まったのだけれど、夕方ランニングを終える頃には良い意味でどうでもよくなっていた。
自分と直接関係ない情報は遮断し、或いは見て見ぬフリをして、自分にできること、やるべきことを淡々とやるのみだ。期待も望みもない。ただ、自立して生きようとしている人たちの邪魔をして欲しくないし、足を引っ張ってくれるなと願うばかりだ。
小原信治
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投稿時間:2013-12-26 20:13:57 |
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