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12月19日 小原信治の草の根広告社
『横浜にて』
 
 毎朝、横浜に通う日が続いている。
 今年で13回目となった『福山☆冬の大感謝祭』。会場であるパシフィコ横浜は、住まいと同じ神奈川県内にあるので、普段仕事で通っている東京よりは、とてもラクな道のりだ。距離的にも時間的にも、そして、気分的にも。

 神奈川の大和市という町で育った僕にとって、お隣りの横浜は物心づいた頃から、東京よりも住みたい、働きたい、憧れの街だった。横浜という異国情緒漂うブランド性への憧れもあっただろう。祖父母が暮らしていた品川くらいしか行ったことのない東京を知らないこともあっただろう。ただ、父親を始めとする身近な大人たちが毎日汗だくになって満員電車で通う東京よりも、近くにある横浜で働いている先輩たちの方が、めんどうな何かに縛られていない、自由気ままな、格好良い大人に思えたのだった。

 大学時代、放送作家として東京のテレビ局に出入りするようになった時も、横浜で仕事をするにはと考え、子供の頃から見ていた地元のTVK(テレビ神奈川)に電話で売り込みをした。今思えば業界のルールも常識も分かっていないからこそできた若気の至りだけれど、運良くトントン拍子で担当させて頂けることになった音楽番組を作る為に通うことになったのは横浜ではなく、制作会社のある六本木だった。

 横浜で暮らしたい、働きたい。
 そんな物心ついた頃からの憧れが現実のものとなったのは、1998年春。福山さんのオールナイトニッポンの月曜一部が終わったと同時に、それまで住んでいた世田谷から、横浜に引っ越した時だった。仕事は相変わらず東京のテレビ局やラジオ局だったけれど、ドラマの脚本など、自宅で執筆する時間と分量が増えていたこともあり、ならばと思い切って仕事場兼自宅をかねてから憧れていた横浜に移したのだった。選んだのはちょうどパシフィコ横浜から海を挟んだ向かい側に建つ公団のタワーマンション。窓を開ければ太陽に照らされ燦然と輝くベイブリッジ。風向きによってはパシフィコで開催されているライブの音が風に乗って、耳に流れ込んで来るような、そんな部屋だった。得られた解放感と自由は予想以上のものだったけれど、同時に東京を離れると決めた時からずっとつきまとっていた都落ち感が怖くもあった。それでも横浜での暮らしに慣れてくると、次第に仕事で東京まで通うのがだんだん億劫になり、「横浜で仕事があればいいのに」と思い始めるようになっていた。

 そんな1998年の年末にスタートしたのが、今年13回目となる『福山☆冬の大感謝祭』。会場は横浜アリーナ。僕にとって生まれて初めての横浜が現場となる仕事は、実は福山さんからもたらされたものだったのである。
 
 あれから15年。感謝祭がなかった2年を除いて、毎年1年の締め括りは有り難いことに、ずっと憧れだった横浜で仕事をさせて貰っている。それは、住まいが横浜からさらに神奈川の奥まったところにある海沿いの小さな町になった今年も変わらない。

 朝、カーラジオで流れる横浜の某ラジオ局の『福山雅治リクエスト特集』に迎えられ、みなとみらいで高速を降りる。「帰って来たな」という感慨深い気持ちになる。パシフィコ横浜の駐車場に車を止めると、海の向こうに、10年以上暮らしていたかつての住まいが見える。物心ついた頃から暮らしたい、働きたいと憧れていた横浜は、今や僕にとって、年末年始に帰省する、もうひとつの故郷になっている。

小原信治

ゆーワケで『福山☆冬の大感謝祭 其の十三』絶賛開催中です。
参加されたアナタの熱い熱いご感想、masha@allnightnippon.comでお待ちしています!

投稿時間:2013-12-20 03:37:04
 
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