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『カラスの恩返し』 |
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一難去ってまた一難。
台風による潮風害が去った思ったら、今度は畑が鳥害に泣かされている。
あと数日で収穫できるだろうと言うところで、トマトときゅうりの実がカラスに食べられてしまうのだ。僕の畑はそんなに株の本数が多いわけではないし、潮風害でかなりやられてしまったので、収穫できるのは1回につき1個か2個。それを毎日のように食べられてしまうものだからたまらない。育てている僕の口にはなかなか入ってこないものになってしまっているのだ。
「オマエに喰わせるワケに汗水垂らして育ててるんじゃねーぞ!」
人を小馬鹿にしたような鳴き声とともに上空を悠然と旋回しているカラス(※そいつが喰ったカラスかどうかは分からないけれど)に向かって叫ぶことしかできない。カラス除けにぶら下げたたくさんのCDも全く役に立っていない。
とても野蛮な発言だとは思うけれど、畑に行って、ご丁寧に1個ずつ、甘くて柔らかな実の部分だけ食い散らかされたトマトときゅうりが転がっているのを見ると、カラスをバーナーで火あぶりにして焼き鳥にしてやりたいとすら思う(※これでもかなり押さえた表現にしてあります。)とてもじゃないけれど、こいつらと共生なんて気持ちにはなれない。
自然の中で生き物と共生なんてキレイごとは都会で暮らしている人の考え方なのかもしれない。自然に囲まれた田舎では、人は生き物と戦いながら、喰うか喰われるかで生きているのだ。
なんてことを数日前、ツイッター(@KAORUAOBA)で呟いたものの、考えてみたら、その畑だってもともとあった山を人間が切り崩したものだ。カラスは畑が出来る前からそこに自生しているものを食べて生きていた。そこに人間がいきなりやって来て山を崩されたおかげで餌が無くなったんだから、少しぐらい食べられても仕方がないのかもしれない。奪ったんだから、奪われたって仕方ないのかもしれない。怒りが静まって、そんな風に考えられるようになった時、それが「共に生きること」なのだということに、改めて気づいた。
「自然と共生してゆくということ。」
頭では理解できていても、体験の中で理解する機会って少なくとも都会暮らしの中ではなかなかないんじゃないだろうか。僕自身ひょっとするとこれが生まれて初めての体験かもしれない。
とはいえ、今朝も畑に行って、食い散らかされたトマトとキュウリを見たら、やっぱりぶっ殺したく…いやいや、バーナーで焼き鳥にしてやりたくなってしまった。
「毎日毎日喰わせてやってんだから、そのうち恩返しで畑にダイヤでも落っことしてくれるんだろうな」
いつものように人を小馬鹿にした鳴き声を上げながら、雲ひとつない真っ青な夏空を旋回しているカラスを見上げて呟いた。そして、思った。
なんとかの恩返しみたいな昔話って、こういう体験の中から生まれたものなのかもしれないと。
まあ、今んとこ、カラスが僕のところに恩返しに来る気配はないけれど。
小原信治
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投稿時間:2012-07-19 18:20:27 |
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