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7月12日 小原信治の草の根広告社
『仲間ハズレを寂しがる余裕ねー』
 
 トマトは栄養が切れて死にそうになると実をつける。人間に食べられる為じゃない。子孫を残す為だ。完熟した実はやがて土に落ち、その中の種がまた芽を出し、命を繋いでゆく。
 その真逆で、ナスは栄養が足りないと実をつけない。美しい花は咲かせるものの、子孫を残す為の実を付けることなく朽ち果てる。少ない栄養を未来の為にではなく、今、花を咲かせる為だけに使い果たすのである。
 本能的なトマトと比べて、ナスは最近の僕らのように現実的なんだな。初夏の畑でトマトやナスの剪定をしながらそんなことを思った。
「この給料じゃ自分が生きてくのに精一杯だから、子供はいらない」
 そんなナスの声すら聞こえて来るような気がした。
 そして改めて、トマトかナスのどちらかと言えば、トマトのようなタイプの両親に感謝した。

 小学2年の時、3ヶ月くらい学校に行かなかった時期がある。
生まれ育った神奈川を7歳で離れて転校した、ある地方都市の小学校でのことだ。毎朝学校に行こうとするとお腹が痛くなった。

 転校初日から、自分のことを「僕」などという東京風の言葉使いが原因で「気取ってる」とからかわれたのがきっかけだった。かといって初めて聴くその土地の方言を喋れるはずもなかったし、真似して喋るのも演技をしているみたいで気恥ずかしかった。かといって喋れば「気取ってんじゃねえよ」などと言われるから無口になっていった挙げ句、遂に学校に行きたくない心が腹痛となって現れるようになってしまったのだ。

 両親には言えなかった。7歳といえども自尊心があったし、両親を悲しませたくもなかった。そこは父が自慢する故郷でもあったので余計に。

 毎朝、ごはんを食べ、学校へ行く支度まで済んだところでお腹が痛くなった。
母親が「今日も休ませます」と学校に電話を入れた途端、腹痛は治まった。母は何も訊いてこなかった。毎日図書館に出掛けては手頃な小説を何冊も借りて来てくれた。僕は日がな一日、かび臭い本のページを捲り、物語の世界に逃避して過ごした。

 そんなことをしているうちに3ヶ月くらい過ぎていた。その間、担任の先生が何度も心配して訪ねて来てくれていた。腹痛の診察をした病院の先生にも「学校に行きたくないからお腹が痛くなるんです」と母親の前でハッキリ断言された。気がつくと、何も言わないわけに行かない空気になっていた。考えを巡らせた挙げ句、僕は母親と先生に学校に行きたくない原因をこう告げていた。

「僕はテレビに出てる人たちと同じ正しい言葉を使ってる。間違った言葉を喋ってるのはクラスの奴らの方だ。
 あんな田舎者たちとは友達になれない。だから行かない」

 先に差別されたから、逆差別することで強がってみせたかったのだろう。屁理屈といえばそれまでだけれど、自尊心が傷つかない理屈を手に入れたことで、とてもラクになったのを今でも憶えている。自分は差別されてるんじゃない。こっちが差別してるんだ。僕だけが正しい言葉を話す人間で、間違った言葉(※すいません、追い詰められた小2の言葉だと思ってお許し下さい)を話すあいつらは猿なんだ。猿に何を言われたって悔しくもなんともない。そんな風に思ったら気分がスッとした。

 不思議なもので、毎朝の腹痛もなくなり、学校に行けるようになった。以前のように何か言われても、「猿がキーキー言ってやがる」と流せるようになった。

 時を同じくして東京から転校して来た男の子(そいつは転校初日から僕以外のクラスメートの前では方言を操っていた)と、「東京ってどんなとこ?」と色々聞いて来る男の子、その2人とだけ友達になった。だからあの町でできた友達は2人だけだ。他の地元の子たちとは一切口も訊かずに、3年生の終わりまで「僕」で通した。たとえ、地元の猿どもに何を言われようとも。

「神奈川に戻ることになったよ」
 3年生も終わりに近づいたある日曜日、僕を二人きりで釣りに誘った無口な父が、釣り糸を見つめてそう告げた。2年近く経つのに自分の故郷に馴染まない息子を見るに見兼ねたのだろう。母親とも何度も話し合ったのだろう。父は仕事を変えてまで、また僕が育った神奈川の町への転居を決めたのだった。僕の未来の為に、自分たちの人生を犠牲にしてまでも。胸が張り裂けそうに痛かった。


 今の僕があるのは、あの時の両親のおかげだ。あのままあの土地で、ただひとり「僕」を貫いていたら、自分をからかう同級生たちを猿どもと見下すことで保っていた自尊心はどこまで持ち堪えただろう。いや、そんな嫌な人間はもっと大変な目に遭わされていたかもしれない。そう思うと、いや、そんな未来、今となっては想像すら出来ないけれど、あの時、一度も「学校に行け」とは言わず、たくさん本を読ませることで自分で考える筋肉をつけさせてくれた母に、「神奈川に帰る」という決断をしてくれた父に、僕は守られたのだ。

 そして、大好きなバンドの大好きな歌を大声で歌いながら、43歳の今も生きている。


  仲間ハズレを寂しがる余裕ねー
  もう興味ねーにした 我がままベスト 流されねー
  ヒトの気分は ヒトの気分だ
  使えないんだ つき合えないんだ
             (「何様ランド」/Theピーズ)

小原信治

追伸 結果、人に嫌われるくらいのイヤな奴になれて本当に良かった(笑)
投稿時間:2012-07-13 06:58:40
 
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