福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル 魂のラジオ 毎週土曜日23時30分から25時までオンエアー。
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12月29日 小原信治の草の根広告社
『回顧録』


もしも魂のラジオに携わっていなかったら、そして、福山さんのツアーに携わっていなかったらと、今年ほど思わされた1年はなかったと思う。
 3月11日、広島公演の中日だったその日、僕は大阪にいた。
 大津波の映像と放射能という目に見えない恐怖に、打ちのめされ、足がすくんだ。今まで味わったことのないような無力感で、東京に帰ることもできない。そもそも帰る意味なんてあるんだろうかという想いの中で、でも、何かしなきゃ、とはいえ何ができるんだろうという自問自答を繰り返した。
 そんな僕が立ち上がることが、そして、すべての日本人が見立ち向かわねばならないこの未曾有の大災害に立ち向かうきっかけをくれたのは、福山さんのこの一言だった。
「24時間のチャリティーラジオができないだろうか」
 僕が初めて被災地に足を運ぶことができたのも、そんな「24時間ラジオ」をやるにあたり、この目で見ておかなければというのがきっかけだ。とはいえ、初めて目にした被災地の光景は、僕を含めたスタッフの誰もが「今この状態で、果たしてラジオ番組なんて役に立つんだろうか?」と打ちのめされるほどの惨状だった。それでも、スタッフ全員が「今、自分にできることはなんだろう?」と悩み、考え、その場、その場でできることの「答え」を探し、「みんなを救うことは無理だけど、ここにいるリスナー1人くらいの役には立てるかもしれない」と、平時ならばきっと「特別扱いになるからダメ」という放送の掟を破り、というよりは、自ら救いを求めるような気持ちで、被災地で暮らすリスナーの家を訪ね、津波の汚泥にまみれた家の掃除をさせて頂き、「ありがとう」と言う言葉を頂いて、初めてホッとした時の気持ちを、「これでいいんだ。これしかできないんだ」と安堵した気持ちはずっと忘れることはないだろう。
 そこからは、24時間ラジオ、そして、東日本応援シートなど、福山さんの発案による「ツアーをやりながら被災地の支援ができるシステム」で再開したツアーに携わって来たおかげで、いつも「今頑張っていることが、微力ながら被災地の支援ができているんだ」という想いで、この1年、仕事を続けることができた。
 その2つがなかったら、僕は何をしていただろう?何ができていただろう?
別の何かはしていたかもしれないけれど、これほど大きな支援に携わることはできていなかっただろうし、できなければ、今でも、そしていつまでも、「何かしなきゃ、でも、何ができるんだろう?」という想いに苛まれていたと思う。
 きっとあの惨状を見た誰もがそうだろう。それぐらい、311の映像が与えた衝撃は大きかったのだ。単なる傍観者ではいられない、何かしら行動せずにはいられないほどの衝撃を。
 でも、何かできたからと言って、安心してはいられないというのもまた、これらの活動の中で改めて強く思わされたことだ。被災地のリアルな映像を伝える報道は日に日に少なくなっていく。被災地の現状も少しずつ変わって行く。少しずつ良くなると同時に、新たな問題も噴出してくる。それらを想像し、「じゃう何ができるだろう?」ということを常に考え続けること。そして、そうしていなければ、落ち着かないし、被災地から遠い場所でどんなに楽しい日々を送っていても安心できないこと。そういう「いつまでも被災地を思い続ける心の種」を植えて貰ったのも、1995年に阪神淡路大震災を大阪で経験した、福山さんのオールナイトニッポンだったということを改めて思い返し、もしも、こんな形で震災に立ち会っていなかったらどうなっていたんだろうということを、2011年、年の瀬に改めて思い返した。

小原信治
投稿時間:2011-12-29 21:22:07
 
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