福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル 魂のラジオ 毎週土曜日23時30分から25時までオンエアー。
魂ラジブログ
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4月1日 小原信治の草の根広告社
わが青春のオールナイトニッポン

 3月31日、深夜三時。珍しく夜更かししてラジオを聴いていた。
『小栗旬のオールナイトニッポン』最終回。
 小栗さんとともにブースに入り、時々笑い声を上げていたのが、僕と同じ事務所に所属する後輩の作家なのだ。三年半前、小栗さんがオールナイトニッポンのパーソナリティーを担当するにあたって、福山さんにアドバイスを求めたという話をお互いの番組でしていたけれど、時同じくして、というかその少し前か。僕は僕で、ニッポン放送のある方から「今度、小栗旬さんでオールナイトニッポンをスタートさせるんだけど、良い作家さんはいませんか?」と相談され、何かピンと来るものがあって「じゃあ」とお願いしたのが、先述の後輩だったのである。彼はメイン作家としてオールナイトニッポンを構成するのは始めてだったけれど、そして僕自身、小栗さんがどんな方かは知らなかったけれど、年齢と出身が同じだったというだけで、とてもうまく行くんじゃないかと感じたのだった。
 あれから三年半。どんどん階段を駆け上ってゆく文字通り”旬”な俳優さんと週に一度、小さなブースで膝を突き合わせながら、彼が十年分くらいの濃密な時間とかけがえのない経験をしたであろうことを想像しながら、その最終回を聴いていた。そして、聴きながら思い出していたのは、魂ラジが始まる二年前の1998年3月、「福山雅治のオールナイトニッポン」の最終回の時のことだった。1994年の11月にあのブースに入ってから三年強、会議と原稿書きがメインだったそれまでの仕事とは違う、生放送という現場で演者の方と一緒になって行うモノ作りは、僕に色々なことを教えてくれた。
「もしもこの先、違うパーソナリティーの方のオールナイトニッポンの構成を担当して、同じようにブースに入ることがあっても、こんな気持ちになることは二度とないんだろうな」
 最終回と打ち上げを終え、家路に着くタクシーの中で、静かに明けてゆく町を見ながら、そんなことを思った。あの時は、まさか二年後に「魂のラジオ」としてもう一度、福山さんとブースに入る日が来るなんて想像もしていなかったし。
 放送の最後に、小栗さんがこう言っていた。
「いつかまた戻って来ます」
 それはたぶん、高校を卒業した生徒が、今度は同じ学校に教師となって戻って来るようなものなのかもしれない。だからこそ僕は、昨日、『小栗旬のオールナイトニッポン』の最終回を、そして、時折り聴こえて来る後輩作家の笑い声を、あの頃の自分を懐かしく思うような気持ちで聴いていたのだろう。そして、
たぶん、あの時の僕らにも、今の魂ラジにも、「あいつら青いな」と思いながら、かつての自分たちを懐かしむように聴いていてくれているたくさんの諸先輩方がいるんだろう。

 たくさんの人の青春が詰まっているオールナイトニッポン。
もはや、もうひとつの甲子園と呼んでもいいくらいの存在であるこの番組に関われていることに、改めて感謝した3月31日の夜だった。

 小栗旬さん、三枝玄樹くん、そしてスタッフの皆さん、おつかれさまでした。

小原信治
投稿時間:2010-04-01 11:16:13
 
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