福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル 魂のラジオ 毎週土曜日23時30分から25時までオンエアー。
魂ラジブログ
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1月20日 魂ラジレポート
阪神淡路大震災から15年のいま
F「時計の針は0時38分を示そうとしています。あと5時間ちょっとで阪神淡路大震災から15年を迎えます。」

先週の魂ラジは2010年1月16日から17日にかけての放送でした。
それは15年前、この魂ラジの前身である『福山雅治のオールナイトニッポン』の大阪生放送があったときと、何も変わりありません。
魂ラジリスナーの方にはご存知の方もたくさんいらっしゃるでしょう。
1月17日といえば、15年前の1995年に淡路島北部沖の明石海峡沖を震源地として発生した大地震『阪神・淡路大震災』が起こったまさにその日です。
6434名の死者を出し、その後の日本の建築物に対する考え方も大きく変化させたこの未曾有の大地震、福山さんもオールナイトニッポン生放送のあと、飲みに出ていた大阪の街で、この震災を体験したひとりなのです。
そんな、切っても切れない関係のある阪神淡路大震災と魂ラジ。毎年、この時期にはこの大地震を振り返り、考える放送をお届けしてきました。
寄せられるメールやお手紙は、その一文字一文字に癒えない傷や思いがこもり、華々しい復興を遂げた神戸の街の裏には、決して消えることのない記憶があることを教えてくれるようでした。

○ラジオネーム:まりこ(23歳 兵庫県西宮市)
「私は住んでいるのは神戸市ではないので、被害はそんなにひどくなかったのですが、当時はなぎ倒された阪神高速道路を目の当たりにして愕然とした記憶があります。ましゃがぶらり旅してくださった甲子園球場の、あのあたりで…。
なぜかあの日だけはいつもガスでご飯を炊いていた母が炊飯器でご飯を炊いたおかげで
火災を免れたり、揺れ始める直前に食器棚の前から離れたおかげでガラスの雨から逃れたことも、飛び起きた父が寝ていた私を身を挺して庇ってくれたことも、今では懐かしい思い出になっています。
関西に住む私にとって
『忘れたくないものがある』
『覚えておきたいものがある』
とはまさにこのことです。当時助けていただいた方に感謝しつつ、この後は5時46分まで起きておいて、黙祷をしてから寝る予定です。
今、ハイチでも地震が起こっていますね。救助活動も支援物資の配達も難航しているようです。なるべく多くの方が助かることを祈っています。」

○ラジオネーム:ふみちゃん(兵庫県神戸市)
「私は当時、高校生で京都に住んでいました。それでもゴゴゴゴーという地鳴りとともにしたから突き上げるような縦揺れと横揺れに、とても怖い思いをしたことを今でも覚えています。現在私は、結婚をして2003年から神戸に住んでいます。神戸に住み始めてちょうど2年ほど経ったころでしょうか。知らない電話番号から自宅に電話がありました。『○○さんのお宅ですか?』とおじいさんの声…。私が『違います。』というと、『…また違った。』と気を落とされて、『間違えました、ごめんなさい。』と涙ながらに謝罪されました。話を聴くと、震災で音信不通になってしまったご友人を探されているとのこと。おじいさんご自身も被災され、震災当時は身の回りのことで精一杯の状況だったそうです。そして落ち着いたいま、時間を見つけては手当たりしだい電話をかけていらっしゃるそうです。実に10年もの間、友人を探し続けていらっしゃるのです。気づくと私は、電話越しの見ず知らずのおじいさんと2時間も電話で話していました。
私はある医療機関で仕事をしているのですが、この時期には決まって震災の話になります。少しの揺れでも当時が思い出されるので乗り物に乗れない方、ぱっと目覚めると5時46分のときが多々あり、そのたびに涙を流すという方。
確かに神戸の街は復興し、540万人に減った人口も、560万人を今では超えたようですが、被災した方の心には多くの傷が残っています。少しでも被災した方の心が軽くなればと願い、今年も追悼式典に、子どもを連れて参加します。」

亡くなった方のご冥福をお祈りすることはもちろんですが、こうやって残された方が、背負っていかなければならない記憶を抱いていることも忘れてはならないことのように思います。
ほかの地域に住む、若いリスナーからの反響も非常に大きかったこのエピソード、福山さんも、

F「こうやってずっと友人を探されているという方もいらっしゃるんですね…。」

と、非常に感慨深そうに話していました。

○ ラジオネーム:のり(兵庫県神戸市 33歳)
「阪神大震災から今年で15年。ハイチ大震災のニュース映像が15年前の神戸と重なり、胸が痛みました。。。
当時私は18歳。震度7の激しい揺れと地面の唸りを聞きながら、『もう死んじゃうんだ。』と本気で考えました。地震後、東の空は煙で黒く覆われ、その方向から何とも癒えない煙のにおいを感じ、すべてのライフラインを経たれたむなしさ…。あの日の記憶には何も上書きされることはありません。
15年という年月は街を急速に復興させたけど、震災前と同じ姿に戻ったわけではなく、思い出の場所がたくさんなくなりました。また年月が進むことで震災が人々の記憶から薄れていくことも避けられないし、『10年ひとむかし』って言葉があるけど、この15年はそんな簡単な言葉では言い表せないです。
15年経つ今も、ましゃが魂ラジで震災のことを取り上げてくださることはとても心強いです。
私も神戸で生まれ育ち33年、神戸が大好きです。
震災のことはもちろん、その時に受けた人々の温かさや、復興に立ち上がった人々の力強さを伝えていきたいです。」

F「最後のこの2行のことがとっても大事ですよね。その時の人々の心の中に何が起こって、どういうことが行われたのかということが伝えられていくべきことなんじゃないでしょうかね。大変さ、凄惨さみたいなことも伝えていくべきことであると思いますが、そのことだけじゃなくて、そこでどんな行動を人々がとり、助けられたこととか、もちろん、いいこと、美しいことだけじゃないと思います。それも含めて伝えていくっていうことが大切なんじゃないかなと、今メールを読んで思いましたね。」

“記録”に残る天災となってしまった『阪神・淡路大震災』。皮肉なことに、それゆえに私たちは今でもその被害規模の大きさや凄惨さを知ることができます。
ですが、ひとびとの“記憶”に残しておくことはそう簡単ではありません。今を生きるために、忘れてしまうことだってあります。伝える範囲に限界だってあります。でも、だからこそ、数値やデータには残らない、人々の記憶や行動を伝えていくことが大切なのだと思います。
『18〜eighteen〜』の発表当時、福山さんは、

F「ふるさとが変わってしまうことは嬉しくもあり、自分勝手だけど寂しくもある。」

と話していました。そしてそれに賛同するリスナーから寄せられたメールも多数。
阪神・淡路大震災は、そんなふるさとの街を一瞬にして変化させてしまったものでもあります。青春を振り返る街の要素を失ったその思いは、当事者の方にしか語れないものでもあるはず。
規模の大きさや被害の凄惨さの後ろに隠れてしまいがちな、人々の思い。
そんな記憶を少しでも伝えていければ、という思いのもと、魂ラジでは来年も、そしてこれからも、震災を考える放送をお届けしていきたいと思います。

そして今はところ変わって海の向こう、ハイチで大規模の地震が起こっています。
やっと日本の医療チームが出発、『15年前の恩返し』と各種報道で伝えられました。都市直下型、地震の構造も酷似しているというこの大地震。
遠い海の向こうではありますが、海を越えても抱く思いに違いはありません。
私たちも等身大のこととして、考えることが大事なのだと思います。
15年目の阪神淡路大震災、そして同時期に起こったハイチ大地震。あなたもこの機会にすこし、考えてみませんか。
投稿時間:2010-01-20 21:51:21
 
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