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五十年後の世界 |
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日本で最初に「道」がアスファルト舗装されたのは、東京神田の昌平橋だという。1878年、明治十一年のことだそうだ。それから百五十年弱。都会では舗装されていない道を探す方が難しい。
「このアスファルトの下には、もともとの土が眠ってるんだよな」
昨日の夜、タクシーに乗りながら、ふとそんなことを思った。『龍馬伝』を見ていても時々思ったりするけれど、あの時代の人たちはまさか百五十年後、江戸が東京と呼ばれ、土のほとんどがアスファルトで覆い尽くされた道の上が、世界でも一、二位を争う国産車で埋め尽くされているなんて、想像もしなかっただろう。
想像もしなかったことと言えば、ここ一年ほど農業にまつわる仕事をしているせいか、身近な人たちに「畑って簡単に借りれるの?」「素人が農業やるのってハードル高い?」などと聞かれることが多くなった。高度経済成長の頃から、いつの時代にもカウンターとして、こうした田舎回帰ブームのようなことはあったんだと思うけれど、百五十年前の人たちは、欧米諸国に追いつけ追い越せと、農業から工業へと走り、経済を右肩上がりで成長させていた頃の人たちは、都市での暮らしを捨てて、農的暮らしに走る人が続出する未来なんて予想すらしていなかっただろう。
実は、最近、仕事で五十年後の世界について考えている。今、都市の大部分がアスファルトで覆われている。「東京砂漠」という歌があったけれど、まさにその言葉そのもので、アスファルトの上では僕たちの命を繋ぐ作物は育たないし、土や草が減り続ける限り、南国である沖縄よりも東京の方が暑いという異常な夏が終わることはないだろう。
「まさか、アスファルトだらけの都市部よりも、土の多い田舎の方が土地の値段が高くなる時代が来るなんて、五十年前には誰も予想していなかったよね」
いつかそんな日が来るのかもしれない。ほろ酔い加減でタクシーに揺られながら、灰色の街を眺め、そう思った。
もうひとつ、まさか来るなんて思わなかったというのが大地震。まさに先日、ハイチでは大地震が発生。情勢不安も重なって、予断を許さぬ状況が続いているけれど、僕自身、十五年前、大阪で立っていられないほどの地震に遭遇した時は、まさかあの時、すぐ近くの神戸で多くの人の命が失われているなんて想像もしていなかった。
今年も魂ラジでは、伝え続けます。福山さんが被災地に向けて、歌を届けます。阪神淡路大震災から十五年、あなたが思うこと、考えたことを送って下さい。
小原信治
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投稿時間:2010-01-14 22:35:35 |
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