福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル 魂のラジオ 毎週土曜日23時30分から25時までオンエアー。
魂ラジブログ
2008年8月
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8月8日 スタッフ日誌
国民投票結果発表放送予告★
ついに開幕した北京五輪!!
テレビの前で開会式に釘付けになっていました!という方も多いのではないでしょうか?
我らが国王はテレビ朝日系列にてテーマソングと写真でオリンピックに参加。
ただでさえ熱いオリンピックをさらに盛り上げてくれそうです(^^)y

さて、北京五輪はもちろん気になりますが、もう一つ忘れてはならないことがあります。
そうです。明日8月9日、長崎は63回目の「原爆の日」を迎えます。
6日の広島での原爆投下に続き、世界唯一の被爆国となった日本。
被害に遭われた方の追悼の意をこめて、また、二度と同じ過ちを繰り返したくないという願いを込めて、
毎年この時期は学校で特別授業が組まれたり、テレビなどでも戦争を題材にした特別番組が放送されたりします。
魂ラジリスナーのあなたは、これまでどのようにして平和の大切さを学んできたのでしょうか。
そこで、今週の国民投票はこんなテーマでいってみました。

「あなたは戦争体験を聞いたことがありますか?」

選択肢は
・「聞いたことあります。」
・「聞いたことありません」1
の2つ。

結果は…
1位「聞いたことあります」880票
2位「聞いたことありません」142票

と、多くのリスナーが「戦争体験を聞いたことがある」という結果になりました。
では実際に投票してくださった方の声をみていきましょう。

まずは、「戦争体験を聞いたことがあります」とお答えいただいた方から。

お寄せいただいたメールからは、終戦からだいぶん年月が流れた今でも、
戦争を体験された方が非常に鮮明に当時のことを記憶されているということが分かります。
話を聞いた魂ラジリスナー、一体どんなことを感じ取ったのでしょうか。

●ラジオネーム:ライカ (29歳 岡崎市)
「私は「戦争体験を聞いたことがある」に投票しました。
終戦の日が近付くと毎年戦争の話を聞いていたように思います。
4年前に亡くなった祖父は海軍で、「飛龍」という軍艦に乗っていたそうです。
船の中の様子や、沈没したときのこと、 敵機を攻撃した時のことなど壮絶な話を聞きました。また祖母は、当時鹿児島に住んでいたのですが、 飛行機が落ちて行くのが見えたので見に行ったら、敵機ではなく友軍機だったとか、青い目をしたアメリカ軍の兵隊を見た時は、すごく怖かったと言っていました。
竹槍の練習をしたり、 ご飯もゆっくり食べていられなかったそうです。
また、防空壕を新たに掘っている途中に戦争が終わり、 その時に初めて天皇陛下の声をラジオで聞いたそうです。」

●ラジオネーム:チヒロ(22歳 熊本県)
「私は、祖母(75)から話を聞きました。
祖母は終戦時12歳で、現在の韓国ソウルにいました。
戦時中の韓国は日本領だったので、かなり裕福な暮らしをしていたみたいです。
ですので、空襲にあったとか、疎開したとかいう話は聞いたことがありません。
しかし、日本が負け、日本に引き揚げる時の話を聞きました。
色々な体験談を聞きましたが、中でも私が一番印象に残った話があります。
引き揚げ船に乗り込む際、大人は身体検査を受けるので財産を持ち帰ることができません。
しかし、何も持って帰らないと、日本で生活ができません。
そこで、祖母の家族は、検査の甘くなる子供(当時5歳だった一番下の妹)の二の腕に有るだけの腕時計や、宝石類を巻いて検査の目をかいくぐったそうです。
見つかれば当然、ただで済むわけがありません。
船が港に着くまで本当に恐ろしかったと祖母は語っていました。」

●ラジオネーム:ai  (福岡県 27歳)
「中学生くらいのときに、祖母から聞いた話です。
私の祖母と祖父は、第2次世界大戦当時、日本が統治していた満州が安全だということで満州に渡っていたそうです。その満州で私の父は生まれました。
終戦後、満州に渡っていた多くの日本人が日本本土へ引き上げるために、歩いて日本へ帰ることのできる船が着く朝鮮半島の港へ逃げるように向かったそうです。その歩く途中で中国人は頭の良い日本人の赤ちゃん・子どもを力づくで奪おうとしたそうです。
実際たくさんの子どもたちが奪われていったと聞きました。そして、そのとき私の父は1歳でした。食べ物も豊富にあるわけもなく、栄養失調でほとんど死にかけていたそうです。中国人からの略奪にも祖母と祖父は必死に抵抗し、命からがらなんとか船に乗ることができ、私の祖父と祖母と父と父の姉は日本へ帰ってこれたそうです。
この話を聞いて、1歳だった父があのとき栄養失調で命を落としていたり、中国人に奪われたりしていたら私という存在は今ここにいなかったんだと、とても考えさせられました。実際に戦争を体験していなくても、戦争という虚しさを身を持って体験させられた祖母の話でした。」

●リエ(埼玉県)
「80歳になる伯母は女学校時代、第二次世界大戦真っ只中だったそうです。
女学校で飛行機からの爆撃を受けて、目の前で同級生を亡くした経験を持っています。
なので、今の人生が思うように行かず、見知らぬ人を殺してしまう通り魔事件とか、本当に憤慨しています。生きていきたくても戦争の犠牲となって無念に死んでいった同級生たちのこと、また、戦争で召集命令で戦場に行った人のことを考えると、今の世の中の人は甘えていると嘆いています。
戦争の悲しみを風化してはいけないと私も思います。
私もことが思うように行かず、自暴自棄になってしまうこともありますが、たまに伯母と会って、色々と人生経験を聞くことによって自分の今おかれている立場が幸せであると思えませす。
戦争の悲しみをもっともっと語り継がれていくことは必要だと思います。」

●春花(16歳 横浜市)
「今年の2月に学校の研修旅行で広島に行き、平和について学びました。
その中で、実際に被爆者から体験を聴くという学習がありました。
私は、2人の方からお話を聴かせて頂きました。
1人の方は、「地獄を見ているような気分だった。助けを求めて苦しんでいる人がいるのに、自分の命が大事だから助けてあげられなかった」と何度も繰り返しおっしゃっていたのが、印象的でした。それだけ人を助けてあげられなかったことを悔やんでいらっしゃるのだな、と感じ、改めて、原爆が人に残した傷の深さを思い知りました。
もう1人の方は、「どうして素晴らしい知恵のある人間が殺し合わなければいけないのか、理解に苦しみ悩む」と主張されていました。また、「自分の命がある限り皆とお話していきたい。皆を相手にしていると、沢山の孫に逢っているような気分になり嬉しくなり、勇気ももらえるんですよ。自分の体験を語り継ぐことが今日まで生きさせてもらっている使命だと思っている。そして、少しでも多く話を聞いて、次の世代に伝えて欲しい。日本の子には、仲良く元気に学校生活を送ってもらいたい。」というお言葉が心に残りました。
実際に被爆者の方と触れ合い、心まで伝わる学習ができて本当に良かったです。」

●ラジオネ―ム:ゆき(14歳 島根県)
「とくにおばあちゃんから聞いた話が心に残っています。
おばあちゃんは太平洋戦争のころ女学校で働いてました。
ある日いつもと同じように女学校で働いていると突然爆弾が落ちてきました。爆弾は女学校を直撃してガラスなどが割れ、建物は崩れました。
しばらくして目を開けてみると自分以外に生きている人は1人か2人。
おばあちゃんも生きてはいましたが頭に爆弾の破片が刺さっており、六十年以上たった今でもまだその破片はとれていません。だからおばあちゃんはそのせいで、左目の一部に見えないところがあります。この話を聞いたときとてもショックを受け、戦争がどんなに恐ろしいかを改めて知りました。だからこの話はもし私が結婚して子供を産んだら絶対に話そうと思います。伝えていかなければならないことだと思うから…。
ちなみに私のお母さんは広島に原爆が落ちた日に生まれました。だからいつも8月6日になって誕生日のお祝いをするのと一緒に、戦争についてもいろいろと話したりします。」

●ラジオネーム:みかん(18才 広島県)
「私は広島の原爆投下地点から2qくらいのところに住んでいます。
学校へ行くには、平和公園を通って行ってます。
今から63年前、私の学校の生徒も原爆によって311人の方が亡くなったそうです。
毎年ある平和学習ですが、今年は、被爆体験をした卒業生で、80歳のおばあさんの話を聞きました。
その方は、被爆した時、頭にガラスがささったそうですが、他の人より軽傷だったため、重症の人の看護をしてあげたそうです。
『水をください』と沢山の人に言われたそうですが、『水を飲ませると、死んでしまう』と忠告されていたので、あげられなかったそうです。
「今考えれば、あの時、水を含んだハンカチで唇を拭いてあげることぐらいできたのにねぇ……。」と悔いていました。
「沢山の人が一斉に死んでいく様を見るのは、生地獄だった。」と、語ってくれました。
被爆体験がつら過ぎて、語ることを拒む方が沢山いる中で、語ってくれたことをありがたく思いました。」

●ラジオネーム:けしちる(富山県14歳)
「修学旅行のとき広島の平和記念公園で語り部さんから原爆についてのお話を聞きました。慰霊碑を巡りながら、原爆なんて誰も知らなかったこと、私と同世代の人たちも亡くなったこと、戦争が終わっても大勢の人々が苦しんだことなどを聞きました。
戦争を体験していない私は、教科書には書ききれていない事をたくさん知りました。
最後に語り部さんは「平和な世界をつくってほしい」とおっしゃいました。平和な世界がどんな世界か私にはまだわからないけど、皆が心からの笑顔でいられるような世界をつくっていきたいと思います。」

●ゆか(20歳 神奈川県)
「高校の修学旅行が長崎で、最終日に原爆資料館で、実際に被爆した方の話を聞きました。その方は、当時、幼稚園児位だったそうで、お姉さんと一緒に被爆したそうです。
現在も後遺症があり、ガンの手術を何度も受けているとのことでした。
今までなんとなく大変なことというのはわかっていたけど、実際に話を聞くと、生々しく、途中で自然と涙が出てきました。
二度とこんなことが起きてはいけないと言っていて、本当にそうだと実感することが出来ました。」

●まゆ(21歳)
「私は被爆3世です。
祖父母が広島で被爆しました。
戦争の話はなんとなく聞いちゃいけないのかなぁと思っていたけど、やっぱり知っておくべきだと思い、思い切って中学生の頃に聞いたのを今でも覚えています。
祖母はその日、学校の教室に居たそうなのですが、爆風で窓のガラスが吹っ飛び、周りの友人があっという間に倒れていく中、たまたま窓と窓の間の柱部分の席に座っていた祖母は爆風から逃れ、助かったそうです。
話を聞くだけで恐くなったと同時に、絶対に同じことを繰り返してはならないのだと強く思いました。
原爆が投下された日、広島に居たころはサイレンが鳴り、毎年黙祷をしていましたが、今住んでいる関東地方では、何もなかったかのように時間が過ぎていくのが悲しいです。
私が何かできるわけではないけど、ただただ平和を祈るばかりです。」

●ラジオネーム:ゆんで(37歳 長崎県)
私は、福山さんと同じ、長崎市で生まれ育ち。
8月9日11時02分のサイレンを聞きながら平和を祈ることが当然のようにすごしていました。もちろん、今も同じ気持ちです。
30代後半の私は、小学校、中学校時代の先生方にもたくさんの被爆者の方がいらっしゃいました。8月9日の登校日に、平和学習があり、先生方から被爆体験、戦争体験を聞いていました。熱風でやけどし、全面ケロイドになった背中をつらそうにみせてくれた先生。
家族を失いながら、懸命に生きてきたと話してくれた先生。
そんな、先生方から平和の尊さを学んできました。
原爆の写真の中には、目を覆いたくなるものも多数あります。
しかし、それが、わずか65年前のこと。目をそむけてはいけない事実なんですね。
戦争の事実、原爆の事実を風化させてはいけないと強く感じます。
毎年、魂ラジで取り上げてくれることに感謝します。」

●ラジオネーム:ともみ(18歳・高3)
「私は今年の1月に修学旅行で沖縄に行きました。
そこでひめゆりの塔・資料館で、実際にひめゆり部隊として、戦争を体験した証言員の方のお話を聞く機会がありました。
私は、その時のことを、決して忘れる事ができません。
お話を聞くとき、私は証言員の方の真ん前に座っていました。お話して下さっている
時の、その方の目を、私は今でもはっきりと覚えています。
一緒にひめゆり部隊として活動していた友人や、先生の話しを始めた時でした。
目に涙を溜めていました。しかし、涙を流すことはありませんでした。それは、涙を流す
まいと、必死に我慢している様に、私には見えました。だから私も涙を流すまいと我慢しました。涙を流さずに戦争体験を私達に、話せるようになるまでに、どれだけの涙を流してきたのだろうか…。と私はいつも考えます。」


続いて、「戦争体験を聞いたことがありません」とお答えいただいた方。

●金太郎(中2 北海道)
「戦争の体験を直接生で、聞いたことはありません。
自分は、戦争の漫画やTVなどはよく見ます。けど、体験した人から直接聞いた事はありません。体験した人が周りで居ないし、そういう機会が無いです。
戦争で使っていたものや、着ていた服などは見たことありますけど・・・。」

● ゆか(37歳 新潟県)
「私は今回は聞いた事がありませんに投票いたしました。
身の回りに戦争を体験した人が今はおりません。
母も亡き父もまだ幼く記憶がなかったようです。しかし、私は高校の修学旅行でクラス代表で献花をする事になり広島な原爆資料館で説明員の側で聞いた事あります。
当時私とは歳も近い説明員の話しには日本で戦争があった事を実感は出来ませんでした。
そして、長崎での写真展の際に長崎の原爆資料館での資料を見て、二度と原爆が日本に投下されない事をただ祈るばかりでした。」

●めぐみ(34歳 和歌山県)
「戦争の話聞いてないです。
祖母は広島で原爆被害にあっていますが、母ですらほんの切れ端くらいしかその事は聞いてないそうです。体験したことが、言葉に出来ない思い出したくないのに忘れられない惨劇だったんだと思います。家族がバラバラになったり、憎しみあったり、誰が悪いわけじゃないのに、戦争で引き裂かれる思いは二度とあってはならないです。
大感謝祭で『群青』を聞いたとき、母の親に対する思いが歌われてるように聞こえてきて涙がこぼれてきました。5月に長崎で福山さんの写真展をみたり、長崎の街をさるいてると、やっぱり、悲惨な現実があった事は事実で、それを次の世代に伝えていかなければならないんだって改めて思いました。」

●まみち(埼玉県)
「私はあります…というか、聞いたのですが話してくれませんでした。
私には今年93歳になった祖母がいます。
少々耳は遠くなりましたが、今も元気に畑に出たり庭木の手入れをしています。
小学生の頃、宿題で「身近な人に戦争の話を聞く」みたいなことがありました。
無邪気な小学生だった私は祖母に聞きに行ったのですが、いつもニコニコ快活な祖母から笑顔が消えたのを今でも覚えています。
子供心にも、聞いてはいけないこと、触れてはいけない過去なんだと思ったのを覚えています。今でも、祖母には聞いてはいけない出来事なんだと思っています。」


今回、「直接は話を聞いていない」という方の中も、原爆をはじめ戦争について取り上げた番組や資料館などでその事実は知っている…という方がたくさんいらっしゃいました。
けれどもまた一方で、あまりの衝撃的な事実に目を覆いたくなる、今までも無意識のうちに避けてきた気がするという方もいらっしゃることでしょう。
終戦から63年。
修学旅行の行先は海外になる学校が増え、テレビは娯楽番組ばかりが好まれるようになり、戦争を知っているお年寄りは亡くなられていく…そうした中、広島や長崎に原爆が落下されたことについても、そもそも日本が戦争をしていたということでさえも知らない若い世代が増えているのだといいます。
“戦争を知らない”世代が増えることは何を意味するのでしょう。
F「まずは、“知る”ことから初めて欲しい。」と話す福山さん。
そんな福山さんが去年の今頃、魂ラジで「ぜひ、観てほしい…」と話していた映画「ヒロシマナガサキ」もNHKにて放送されます。
この機会に是非、戦争について考える機会を設けてみませんか?

さて、明日の魂ラジは北京五輪まっただ中での放送!
テレビで、ラジオで、新聞で、どこもかしこも北京、ペキン、BEIGIN、の中、魂ラジは…!?
どうぞお楽しみに(^^)y
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投稿時間:2008-08-08 23:14:59
 
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