福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル 魂のラジオ 毎週土曜日23時30分から25時までオンエアー。
魂ラジブログ
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1月23日 魂ラジレポート
阪神・淡路大震災から13年。
1995年1月17日、早朝。
シングル「HELLO」のプロモーションのため大阪を訪れていた福山さんは、
その日、大阪でのオールナイトニッポンの生放送を終えて、
作家の小原さん、ディレクターの節丸さんと一緒にあるお店にいました。
明け方、お店を出てタクシーに乗った直後、地震を体験しました。

当時、福山さんは25歳。
あれ、と思う間もなく、
高速道路の電光掲示板に「地震通行止め」の文字が光り、
ショーウィンドーのガラスが割れ、バス停が傾き、自動販売機が壊れ…、
街は一瞬にして姿を変えていました。
ホテルに戻ると、エレベーターは当然止まっていて、
福山さんが非常階段を使って部屋に戻ると、
冷蔵庫の扉が大きく開いていました。
床の上に散らばる缶ビールやジュースを見て、
相当大きな揺れだったんだな、ということを改めて感じた、と福山さんはいいます。

あれから、13年が経ちました。
今年も、被災地ではさまざまな追悼式が行なわれ、
地震の発生した午前5時46分には、
たくさんの方が亡くなった6434人に黙祷を捧げました。
13年が経った今、
かつて避難所となった小学校に通う生徒全員が、
震災を知らない世代となりました。
震災の経験と教訓を後世に継承するために、
災害関係の施設としては国内最大規模となる、
「防災未来館」がリニューアルオープンしました。
被災者に対する「震災特例貸付制度」をめぐり、
兵庫県は46億2000万円の未返済分の返済免除を国に求めています。

震災当時は壊滅状態だった街も、
今では元通りに高層ビルが立ち並び、
震災の傷跡を感じることは少なくなりました。
しかし、よくよく目を凝らしてみれば、
いまだに生活に苦しんでいる人がいること、
復興途上の家や街が数多く存在していること、
前向きな明るいニュースが多くは聞こえてこないことに気がつきます。
13年という長い年月が過ぎた今も、メディアでは報道されない、
厳しい被災地の実情が露呈される、現状。
「1.17」は、今もそれぞれの人の胸に刻まれ続けています。

1995年1月17日、阪神・淡路大震災。
その日の夜に生まれ、今年13歳を迎えたという【匿名希望】さんは、
番組にこんなメールを寄せてくれました。

「私は1995年、1月17日夜、東京の病院で生まれました。
ニュースでは、たくさんの亡くなった方々について語られていたそうです。
大阪出身の私の父は、テレビで見た悲惨な映像に、
ただただショックを受けていたといいます。
幸い、私の父の知り合いは全員無事だったそうですが、
亡くなった方々の代わりのように生まれてきた私に、
何度も命の大切さを教えてくれました。

今、父はあまり震災の話をしようとはしません。
父にとって、思い出したくないことを無理に聞き出そうとするつもりはないのですが、
テレビで被災者の方々のお話を聞くと、
『忘れてはいけない震災なのだ』ということを改めて感じます。

今の小学生は、阪神淡路大震災の後に生まれた命です。
そんな今だからこそ、被災者の方々の教訓を受け継ぐべきだと思います。
テレビに映る被災者の方の話を聞きながら、
『生まれてきてよかったなぁ』とつぶやいた父の背中が、とても切なかったです。

被災者の方々に、今、少しでも幸せを感じてほしいと思います」

13年が経った今もなお、
阪神・淡路大震災は、私たちに多くのことを問いかけているのではないでしょうか。
投稿時間:2008-01-23 22:04:15
 
1月23日 魂ラジレポート
阪神大震災から13年目に魂ラジリスナーが思うこと
阪神淡路大震災から13年目を迎えた先週、
魂ラジリスナーからは 「阪神淡路大震災から13年目に思うこと」と題して
大変沢山のメールをお寄せいただきました。
放送中はとてもご紹介しきれなかった熱い想いの詰まったメールの数々。
ほんの一部ですがご紹介します。

○匿名希望(17歳)
「私は1995年1月17日夜、東京の病院で生まれました。
ニュースではたくさんの亡くなった方々を話していたそうです。
私の父は大阪出身。テレビで見た無惨な映像にただただショックを受けていたそうです。
幸い父の知り合いは全員無事だったそうですが、亡くなった方々の代わりのように生まれてきた私に何度も命の大切さを教えてもらいました。
今、父はあまり震災の話をしようとしません。
父にとって思い出したくないことを無理に聞き出そうという気はないのですが、テレビで被災者の方々の話を見ると「忘れてはいけない震災」という事が感じられます。
今の小学生は阪神淡路大震災の後に生まれた命です。
そんな今だからこそ被災者の方々の教訓を受け継ぐべきだと思います。
テレビに映る被災者の方の話を見ながら「生まれてきて良かったなぁ」と呟いた父がとても切なかったです。被災者の方々に今少しでも幸せを感じてほしいです。」

○ラジオネーム:りょう(大阪府)
「私は13年前の1月17日、ましゃと同じ大阪で震災に遭いました。
当時私は高校3年生。
うちは神戸の方のように家が全壊するようなことはありませんでしたが、本当にものすごい揺れで、家の中のものはすべてグチャグチャになりました。
地震が起こった時、私は怖くて布団から全く起き上がれませんでした。
私の目の前にタンスが落ちてきても逃げられなかった。
いざとなると、何も出来ない自分がいました…。
あれから13年。神戸には時々遊びに行きますが、その度、友達と震災のときの話をします。
街はキレイに復興しても、私たちの中に残った傷が癒えることはありません。
自分が遭ったあの恐ろしい揺れ、信じられない神戸の崩壊した風景、これからも忘れることは出来ないし、
忘れてはいけないことだと思います。
これから先、またこういった地震があるかもしれない。少しでも普段の暮らしの中で地震に対しての意識を高めて生活していかなければいけないと思う今日この頃です。」

○ラジオネーム:ようこ
「1月17日は阪神・淡路大震災が起こった日のことを、特別番組で見ました。
普段の生活では地震で被害に会われた方々を常に思うことは正直なく、正直言って風化していると思います。でも、皆で意識して阪神・淡路大震災で神戸はもちろん、兵庫、大阪、などが恐怖でひっくり返ってしまったことを忘れてはなりません。
被害に遭われた方々が肉親や知り合いを無くし、家を無くし、普通に生活していた人々が大事なものを無くしてしまった気持ちを思い、悲しみや人々のいたわりを思い出さなくてはなりません。
神戸の町、大阪の街が壊されてしまったことを忘れてはなりません。
私はあの頃の自分を思い出すと自分自身のことばかり考えていたことが多かった時期でした。
反省しています。阪神淡路大震災で被害に遭われ、肉親や知り合いを亡くされ、家を無くされ、今まで普通に幸せに生きていた生活を無くされた方々の深い悲しみをいつまでも忘れてはなりません。 
そして、最悪な状況になったとき、肉親や大事な人、困っている人々のために立ち上がれる人間として生きていかなくてはならないと思います。」

○ラジオネーム:さっちん
「私は阪神淡路大震災起こったとき、東京にいました。
朝起きてきて真っ先に飛び込んで来たのが悲惨な現状を映したテレビでした。
日本はどうなってしまったのか、戦争があったのか?とかいろんな思いが交錯しました。戸惑いました。
壊れた家屋、倒壊したビルから出る火事の映像や崩れ落ちた高速道路の映像等、鮮明に記憶しています。
あれから年月が経ちましたが、その間にも大きな地震が数多く起こっています。
新潟の地震もそうでした。私は教育実習中でした。忘れもしない、実習最後の日でした。
何度も揺れを感じ、校内の非常ベルが鳴りました。従姉妹が新潟に住んでいた為、すごく心配しましたが地方局で当時アナウンサーをやっており、テレビで中継があったためテレビで無事を確認しました。
あまりの突然の出来事に化粧もせず、テレビで地震の一報を全国に伝えたそうです。
東京でも震度5強の揺れを私自身が経験しました。
いつもの地震と違うとすぐ思いました。外にいたのですが膝に力が入らず、立っていられなかったので物にしがみついている自分がいました。しばらく地震が終わっても、怖さのあまり放心状態で膝がガクガク震えている自分がいました。道路も地震の時、アスファルトの地面が大きく歪んでいました。石壁も傾斜している箇所もありました。地震が各地で起こる度、阪神淡路大震災を思い出します。この日を私たちはけして忘れてはいけないと思います。いつ大震災が起こるか分からない今、自分の身は自分で守りお互いに助け合って生きていかないといけないと思います。」


○ラジオネーム:ともちん
「1995年、私は夫の転勤で神戸からは遠く離れた岐阜に住んでいました。
あの夜、岐阜にも地震の揺れを感じたんです。
いつもは爆睡して地震では起きた事のない夫が飛び起き、私の身体を自分の身体で覆ってくれたのです。
私はその時、妊娠がわかったばかりの3ヶ月でした。
その時は夫がとった行動に驚き余震がこないか心配しながら再び眠りましたが、翌朝テレビの映像は信じられない物でした。
震災の年の9月に生まれた息子は今年13歳。中学入学です。
今年からは震災を体験していない子どもが中学入学です…岐阜でもあんなに強い揺れを感じ、父親が自分を守ってくれた命がある事、神戸では亡くなった命がたくさんあることをきちんと伝えていきたいです。」


○ラジオネーム:ラジオジラン(35歳 京都府)
「こんばんは。京都の片田舎に住む主婦です。震災時、私は広島で大学生でした。
揺れの直後TVを見て、恐怖のあまり泣いてしまいました(実は当時片思いの人が神戸にいました…)。
これが日本なのか、夢をみてるんじゃなかろうか、現実として受け入れるのはホントに怖かったです。
あれから13年。これまでに、地元の岡山や米子も大きな地震があり、その度あの朝見た映像を思い、
胸が痛くなりました。縁あって関西に住み9年になります。
当初、震災の話しになると部外者扱いされてましたが、今では地域の人に話を伺ったり、特集を見るなどして、ここで起きた事を自分の中にも取り込もうと努めています。
関西の、京都の人として、『備えあれば憂いなし!』で愛する家族を守るため、1月17日は、
今何をすべきか考える大切な日としています。」

○美咲(17歳 奈良県)
「阪神大震災は私が4歳の時に起こりました
私は奈良県に住んでいるのですがここでも朝早くに起こったのに目が覚めてしまうほどかなり揺れたらしいです。隣に寝ていた父は私に覆いかぶさり.かばってくれました。
幸い被害はありませんでしたがその日のニュースを見て呆然としたそうです。
私が阪神大震災に興味を持ち始めたのは5年前くらいでこの話を聞いたのも本当に最近でした。
震源地から離れた奈良県の私の家でもかなり揺れたのに神戸や大阪はどれほど揺れたのかと思うと
とても恐ろしく思います。あの日、私の父のように家族をかばおうとして亡くなった方がいたという新聞記事を読みました。私たちは助かったけど私たちと同じ普通に生活していた人が亡くなったと思うととても心が痛みました。 毎年1月17日がくるとあの地震について考えます。
私が知る中で一番近い場所で起こった一番ひどい地震。
たくさんの人の大切な人が亡くなった日。
これからも忘れないようにしたいです。」


○ラジオネーム:キラキラひろちゃん
「阪神淡路大震災の日、私は三人目を妊娠中でした。明け方、ドーンと大きな揺れで目が覚めました。
(遠く離れた愛知県なのにです)思わず二人の子とお腹を抱えました。夫は夜勤で不在でしたから、とても不安でしたが、大きくて長い揺れが二回あって収まりました。
朝になって、検診日だったので病院に行くと、なんだか雰囲気が違う。
待合室のテレビに映った光景は、高架が落ちた映像。何が起きたのかしばらくわかりませんでした。
それから13日後に出産しましたが、雪がちらつく寒い日でした。
平和で穏やかな病室で、来る日も来る日も震災のニュースばかり。
震災で亡くなった小さい命もありましたね。
また、震災の中で産まれた赤ちゃんもいましたよね?
その子たちも我が子のように13歳になるんですね…。
大変な体験を乗り越えて、みんな幸せに大きくなってほしいって願います。」

○ラジオネーム:とーふ (22歳 奈良県)
「13年前の1月17日、朝はっと目覚めると、ぐらぐらと部屋が横に揺れていたのを思い出します。
住んでいたのは奈良でしたが、当時小学3年生だった私にとって、あそこまでの揺れは初めてで、
全身で「怖い」と感じているのに、それに対して何もできないということが余計おそろしかった。
あれから毎年1月17日は学校に行くと必ず、先生が「今日は何の日ですか?」と聞くようになりました。
数年たつと、答えられない子も出てくるようになりましたが、私は絶対に忘れられなかった。
なぜなら、1月17日は私の誕生日でもあるからです。
でもずっと、怖かったこと、先生の質問、悲惨な被災地の映像が最初に頭に浮かぶ日でもありました。
そんな私に心境の変化をもたらしたのは、2年前友人が贈ってくれたメッセージカードでした。私の心配をしてくれている文面を読みながら、「大好きだよ」と言われているみたいで、嬉しくてたまりませんでした。
普通に生活している中で、こんな風にどうしようもなく感謝したくなる時というのがあるんだと思いました。自分は周りの人に支えられて生きているんだと感じました。
13年たっても震災で被害を受けた方々の震災はまだ終わっていないといいます。
それでもきっと、みんなそばにいる人に支えられているんですよね。
今年も贈られたカードを見ながら、私も誰かを支えられるようになろうと決意した1月17日でした。」

○ひろみ(36歳 東京都)
「私は結婚して東京に移り住んでちょうど10年目です。それまでは神戸の実家に住んでいて震災にあいました。タンスに押しつぶされ、怪我をしましたが運良く助かり、家族は皆無事でしたが避難所生活を余儀なくされ、そして友人を亡くしました。
あれから13年、東京にいる私は誰ともあの日のことはわかちあえず、毎年あの日がくるたびにニュースを見てはひっそり涙し、また何もなかったように日常を過ごす。
神戸出身と言うと気軽な感じで震災の事を聞かれ、何とも話せない私はわざと明るく「大変だったよ」
と一言で口をつぐんでしまう、毎年身の置場のない気持ちで過ごしていた1/17。最近になって聞き始めたたまラジでましゃの震災への思いを初めて知り、私のなんとなく貯めてしまっていた思いが先週の魂ラジを聞いて一気に溢れました。
ほんとに何か救われました。
ほんとにありがとう。ましゃのファンでいられる事に幸せです。」


今回、番組にメールをお寄せくださった皆さん、本当にありがとうございました。
中には当時の辛い経験を思い出しながらの方も沢山いらっしゃいました。
毎年1月17日が来るたび、「福山雅治 魂のラジオ」ではちょっと立ち止まって当時のことについて振り返る時間を持つようにしています。
当時の悲惨さを風化させないように。
「怖かった」で終わらせるのではなく、私たちがそこからしっかり学べるように。
今年も、ラジオの前のあなたと一緒に考えることができたことを大変嬉しく思います。
投稿時間:2008-01-23 20:48:01
 
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