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1月17日 小原信治の草の根広告社
13年目の朝も。

 暮れも押し迫った12月のある日、神戸に行った。
2005年に書いた阪神淡路大震災で愛する人を亡くした女性の”忘れられない恋”を綴った小説「忘れられない恋のうた〜sweet&better〜」 がドラマ化されるにあたって、地元のニュース番組から取材依頼が来たのだった。
 魂ラジリスナーなら知ってくれていると思うけれど、僕は1995年1月17日午前5時46分、福山さんたちと大阪でこの未曾有の大地震に遭った。当時月曜深夜にやっていた「福山雅治のオールナイトニッポン」の大阪での生放送の後、地元のバーで福山さんたちと朝まで飲んだ帰り道でのことだった。
 あれから13年。
あの地震で誰もが様々なことに気づいた。災害への心構え。ボランティアの根付き。被災者を救済するための法律。様々なことが変わった。
 僕自身も、あの地震を経験したひとりとして、福山さんとのラジオやこのブログを通じて、毎年この時期には被災地にできたたくさんの友を想った。被災地の友に呼び掛けて来た。
 そんな13年の中で、被災地の方から声を掛けて頂いたのは初めてのことだった。
 朝日放送の夕方の報道番組「NEWSゆう」
 キャスターの保坂さんと一緒に、13年が経とうとしている今も尚、更地の多く残る長田の町を歩きながらインタビューを受けた。
「タクシーに乗ってあてもなく10年目の神戸を走ったそうですけどどうでしたか?」
 訊かれたのは、このブログで読んでくれたという長田のタクシー運転手さんのことだった。
 それは、10年を迎えた2005年の1月17日、神戸の街を訪れたときのことだ。あの震災の朝、いち早く飛行機で東京に帰った僕は、心のどこかに、震災に遭ったのに自分だけが逃げてしまったという想いがあった。離陸した飛行機の窓から見た、白煙を上げている街が忘れられなかった。今年こそ現地で手を合わせなきゃいけないような気がしていた。そんな頃、僕がやっている忘れられない恋の同窓会サイト初恋ネットドットコムに届いた被災地からの一通のメールに呼ばれたのだった。
「震災で亡くなった恋人が忘れられません」
 たまたま乗り合わせたタクシーの運転手さんが長田区に10年前の朝に被害を受けた家を資金不足で手つかずのまま放置していたことが、僕の胸を抉った。
「どうして震災で生き残ったのに、自殺なんかせなアカンのですかね」
 家を立て直したものの、二重ローンに追い詰められて阪急電車に飛び込んだという友達の話に、息が詰まりそうになった。
「まだ全然終わっていないんだと思いました」
 その印象はまもなく13年が経とうとしていた12月の神戸でも変わらずだった。キャスターの保坂さんをはじめ、ディレクターもカメラマンもロケ車のドライバーさんまでもが、全員当然のように被災者だったことも大きかった。
 取材の合間に訊かせて頂いた、真意直後の壮絶な状況下での取材話は、13年経った今も尚、生々しさを保ち続けていた。きっと忘れたくても、忘れられない記憶なのだろう。そして、報道人である以上、忘れてはいけない、伝え続けなければいけないという責任感なのだろう。
「本やブログを読んで、遠く離れたところで暮らしている小原さんが今も忘れることなく被災地を思い続けてくれていることを嬉しく思いました。そういう人が遠く離れた土地にもいるんだ、ということを被災者たちに伝えなければと思いました」
 キャスターの保坂さんが、僕を取り上げてくれた理由をそんな風に話してくれたとき、胸の奥から熱いものが込み上げて来るのを感じた。
 でも、残念だったのは、この日、とうとうタクシー運転手さんには会えなかったことだ。神戸に行くことが決まったことを伝えようとした時にはもう、電話が繋がらなくなっていた。
「お掛けになった電話番号は現在使われておりません」
 運転手さんのタクシー会社に問い合わせてみても、「そのようなドライバーはいません」と言われただけだった。
「正直、去年よりもキツいですわ」
「どうして震災で生き残ったのに、自殺なんかせなアカンのですかね」
 10年目の日から毎年この時期になると電話で様子を伺うようになった運転者さんの言葉が次々と甦っては、胸騒ぎに襲われた。
 そして、とうとう運転手さんの消息が分からないまま、13年目の朝を迎えようとしていた昨晩のこと。突然携帯電話が鳴った。表示されたのは、登録されていない電話番号だった。
「小原さんですか?」
 聞こえて来たのは、年末から心のどこかでずっと待ち望んでいた、運転手さんの声だった。
「良かったぁ、探してたんですよ」
 思わず安堵の声を漏らしていた。
「いや、どうしようかなと思ってたんですけど、やっぱりなんか話さなきゃって、それで掛けたんですわ」
 運転手さんは力無げな声でそう言うと、連絡が取れなくなった理由を話してくれた。電話がPHSだったのでサービス終了とともに解約してしまっていたこと。それと、昨年とても悲しいことがあって、精神的に参ってしまい、運転手の仕事を辞めてしまったことを。
「去年、長田に行ったんですよ」
「そうだったんですか、そしたら家も見てくれたら良かったのに」
 一昨年、仕事の合間に自力でこつこつと修復を始めた長田区の家は、なんとか人が住めるまでになったとのことだった。賃貸住宅にして家賃収入を得ようとしたのだそうだ。でも、まだ空き地の多く残る長田では、借り手など見つからないのが現実だという。
「いつまでも悲しんでいられないし、生きてくためには働かなきゃいけないんですけど、この年になると仕事もありませんわ」
 運転手さんは現在63歳。生活は一向によくならないという。
「いつまでしんどい思いせなアカンのですかね」
 それでも生きようとしてくれていることが嬉しかった。仕事を辞めなければならなかったほどの悲しいことに遭っても尚、生きようとしてくれていることが頼もしかった。そして、何より10年前、神戸で半日ともに過ごしただけの僕に、また電話を掛けて来てくれたことが、嬉しかった。
「また電話しますね」
 僕は言った。
「ええ、ほなまた」
 運転手さんがそう答えてくれた。次の機会まで、それでも踏ん張って生き続けるという決意にも聞こえた。
 2008年1月17日、13年目の朝。NHKで数分間だけ生中継された東遊園地などでの追悼式の様子を見て、5時46分、手を合わせて6434人の失われた命を思った。瞼の裏に「NEWSゆう」の皆さんが今も寒空の下で取材に走っている姿が浮かんだ。そして、同じ空の下、運転手さんがどんな気持ちで今日の朝を迎えているかをいつまでも想像していた。
「遠く離れたところで暮らしている小原さんが今も忘れることなく被災地を思い続けてくれていることを嬉しく思いました。そういう人が遠く離れた土地にもいるんだ、ということを被災者たちに伝えなければと思いました」
 キャスターの保坂さんに言われた嬉しい言葉が甦る。僕も同じマスコミ人として、表現者の端くれとして、そして、震災に遭ったひとりとして、何よりもそのことを被災地で踏ん張って生きている人たちに伝えなければいけないと思っていた。見上げた空の向こうには、今もあなたを思い続けている誰かがいるということを。そして、他でもない福山さんも、そんな風に”被災地の友”であるあなたを思い続けているひとりだということも。

 今週の魂ラジでは、福山さんが13年目の被災地に向けて歌います。
震災から13年目にあなたが思うこと、考えたことも、お待ちしています。

小原信治
投稿時間:2008-01-17 11:03:39
 
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