福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル 魂のラジオ 毎週土曜日23時30分から25時までオンエアー。
魂ラジブログ
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6月27日 魂ラジレポート
魂ラジスタッフインタビュー:小原信治さん
今回のスタッフインタビューは、「草の根広告社」でおなじみの、作家の小原さんです!
13年間、毎週土曜日になると顔を合わせ、福山さんや荘口さんと一緒に放送を作り上げてきた小原さん。
そんな小原さんが初めて語る、オールナイトニッポンとの出会い、そして福山さんとの出会い。
さらには、小原さんだからこそ語れる「福山雅治」像にも迫ってみたいと思います!

魂ラジスタッフ(以下S):まずは、「福山さんとの出会い」について、教えてください!
小原さん(以下O):福山さんとの出会いは、コンサートツアーの為に半年間休んでいたオールナイトニッポンに、福山さんが復活することになった1994年11月のことでした。曜日もスタッフも一新しての再スタートということで、ディレクターを務めることになった節丸さんに「やってみない?」とお誘い頂いたのが、きっかけです。

S:福山さんのオールナイトニッポンを担当するようになったのは、どんな経緯でしたか?
O:放送作家になってからの5年余り、テレビのバラエティばかりやって来ていた当時の僕にとって、ラジオは未知の世界でした。でも、オールナイトニッポンは作家の仕事として一度はやってみたい憧れの番組だったんです。というのも、当時「とんねるずのみなさんのおかげです」の構成をやっていた時に御一緒させて頂いていた先輩が「とんねるずのオールナイトニッポン」をやっていて、毎週火曜の22時過ぎになると「今からオールナイトなんで」と会議を抜けてくのがすごくカッコ良く見えたから。当時テレビしか知らない作家の中では「ビートたけしのオールナイトニッポン」の作家だった高田文夫さんとか、オールナイトニッポンをやってる作家の人は1ランク上、みたいな感じがあった。まあ、他にどんな作家の人がいるのかは全く知らなかったんですけどね(^_^;)
で、「オールナイトがやりたい!」と所属事務所で言い続けていたら、ある日、チャンスが訪れました。事務所でプロデュースしていた新人の女性アーティストが一夜限りでオールナイトの二部をやることになって、その作家をやらせて貰うことに。なのに「絶対このチャンス、モノにしたる!」と息撒き過ぎた僕は「一夜限りで有名になる!」というテーマでその女性アーティストのオールナイトを企画。生放送中にテレクラに電話させて、番組だと知らない一般男性たちとの会話を、延々放送。挙げ句、女性アーティストにその男性たちと放送終了後のニッポン放送前で待ち合わせさせてしまったり…。結果、有名に…というより、悪名高くなる大問題に。事務所からは「お前ニッポン放送出入り禁止だって」という悲しい報告があり、もう二度とオールナイトの作家にはなれないのか…と思っていたら、半年ぐらいして、その時の担当ディレクターだった節丸さんから「オールナイトやらない?福山雅治なんだけど」と連絡が!出入り禁止だと思ってた上に、当時福山雅治といえば「It’s only love」がバカ売れしている二枚目アーティストにして超人気俳優。バラエティ畑の僕とは縁のない人だと思っていたから、正直、「本当に俺なんかでいいんですか?」という感じでした。

S:初めて福山さんに会った印象は、どうでしたか?
O:最初は都内のレストランかどこかで顔合わせ、という感じの席でお会いしたはずなんだけど、正直全然憶えていないんですよね。たぶん、めちゃくちゃ緊張していたんだと思う。当時、節丸さんから「パーソナリティーとはあんまり仲良くならないでね」とか「電話番号とか交換しないでね」と、釘を刺されていたこともあって、番組が始まってもしばらくは必要以上に話さないようにしていた記憶があります。

S:なんで「仲良くならないで」と言われたんですか?
O:どうしてだったんでしょう?なんかもっともらしい理由があった気がするんだけど、忘れてしまいました(^_^;)
だけど、若かった僕と節丸さんには、恥ずかしながら「作り手である自分たちが、番組を面白くするんだ!」みたいな若さゆえの生意気な感じが強くあった気がします。
僕に至っては、一度も聴いたこともないクセに「かっこいい奴がおもしろいはずがない!」なんて先入観から、福山さんの喋りを全く信用していなかったし、失礼なことに曲すら聴いていなかった。台本も、完全原稿ぐらい書き込んだものを作って「これ、まんま読むだけでも80点の番組にはなるはずだから」とか…。今となっては恥ずかしいことばかり思ってました。本来はパーソナリティーとリスナーのコミュニケーションの手助けをするのが仕事なんですけどね。

S:今のお二人の関係からは、まったく想像がつきませんね…。それが、その後どう変化していったんですか?
O:割とすぐに変化がありましたね(^_^;) 始まって三週目ぐらいには、「この人おもしろい…」みたいな。でもって生放送のブースの中で、毎週弾き語りを聴いているうちに(当時は2曲も3曲も歌っていたんです)、「この人の歌、いい…」と密かに思うように。もちろん、節丸さんからは「仲良くしないで、厳しく接して」と毎週のように言われていたので、一度も口にしたことはありませんでしたけど。
でも、大きく変わったのは、スタートして3ヶ月後にできたばかりの「Hello」をひとりずつCDウォークマンで聴かせて貰ったときと、阪神淡路大震災のときでした。「Hello」を初めて聴かせてもらったとき、「うわ、すごい!」と思って、節丸さんには内緒でそれまでのアルバムを全部買って聴いたこと。そして、その直後に大阪で阪神淡路大震災に遭遇したこと。それまでは作り手と演者みたいな壁を作っていたような気がするんだけど、その時、初めて経験する大変な事態の中での放送に、「みんなでやらなきゃ!」みたいな空気が生まれたような気がします。毎週刻々と死者数が増える被災地に向けて、自分の言葉で語り掛け、歌う福山さんにラジオパーソナリティーとしての底力を見せつけられたのも大きかった。因果な話ですけど、震災との遭遇があったから、ちゃんとオールナイトニッポンになれた気がするし、今があるんだと思います。

S:それから13年…今もその気持ちは変わらないですか?
O:実は作家になって1年が経った時、福山さんに「やめたいと思います」と話したことがあります。1年間、作家として生放送のブースの中で濃い時間を過ごさせて貰い、自分自身作家として、もうやれることはないだろう、もっとおもしろくする為にはあたらしい作家の人がやった方がいいだろう、そう思ったんです。スタッフが変わることがパーソナリティーを常にあたらしく見せる、新鮮に放送を続けられる方法だと思ったんです。
そしたら、福山さんから「そういうことじゃないんだよ、小原くん」と言われ、その話はそれきり、ということに。その時すぐにはその言葉の意味がわからなかったけど、後に「僕自身が変わり続けていれば、顔触れは同じでもあたらしくいられる。というよりも、ずっと同じ人と仕事をしていく為には常に変わり続けていなければいけないんだ」ということが分かりました。福山さんはそういうことを言ってたんだ、と。何しろ、福山さん自身がずっと変わり続けている人ですから。
あれから13年近く経ったけど、続けて来られたのは1年目の「やめたいと思います」があったからなような気がします。今も変わり続けていなきゃ、という良い意味での緊張感があるから、続けて来られたのかな、と。
そういう意味でも、福山さんからは常に「刺激」を受けていると思います。冗談でもなんでもなく、オールナイトニッポンの作家として出会うことがなければ、今の僕は間違いなくいないな、というぐらいの、大きな「刺激」を受けていると思いますね。
S:ありがとうございました。

魂ラジを裏側からずっと支え続けている、小原さん。
いつも福山さんや荘口さんのことを、そしてリスナーのことを一番に考えている小原さんなりのやさしさが、ブログをご覧のあなたにも伝わってきたのではないでしょうか?
「…そんな小原さんのプレゼントが欲しい!」というあなた、奇跡的?に、先週小原さんのプレゼントは丸残り!(^_^;) …というわけで今がチャンスです!
あなたの「まだ誰にも話していないポルノ体験」を、こっそり書いて、魂のラジオ宛てに送ってください♪


メールは
masha@allnightnippon.com

たくさんのメール、お待ちしています!
投稿時間:2007-06-27 21:54:19
 
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