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「東京タワー 〜ボクとラジオと、時々オカン〜 母の日篇」 |
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1969年2月6日、港町長崎の小さな産婦人科で、
長崎のソフィア・ローレンと呼ばれていた美しい女性が、
ひとりの男の子を出産した。
体重4000グラム強。
そう、その美しき女性がひねり出したその巨大な赤ん坊こそ、
後にオールナイトニッポン伝説のパーソナリティーとなり、
東京のスタジオから生放送をやるなどとは思ってもいなかった、
0歳の福山雅治だった。
これは、18歳で故郷長崎を旅立った後に、
東京でラジオ界の国宝となったひとりの男の、幼き日の物語である。
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「雅治、私はね、長崎のソフィア・ローレンって言われてるとよ。
お父ちゃんはね、長崎の小松政夫って言われてるのよ」
ボクがちいちゃいときから、オカンはこんな風に言っていた。
「ふーん、外人さんに似てるんだぁ〜」。幼心にそう思っていた。
(※ソフィア・ローレンは映画「島の女」などで知られる、イタリアの女優さんです)
母親似で、小さいときから女の子に間違われることも多かった子ども時代。
洗濯はボクの役割だったし、掃除も好んでやっていた。
今にして思えば、小さい頃からボクは「人に喜んでもらうこと」が大好きだったみたいだ。父親のたぬきの貯金箱からこっそりこっそり、お金を抜いて、
そのお金で母の日や父の日には、しっかりプレゼントもあげていた。
母にはカーネーションなどの花束を、父には大好きなたばこのチェリーを。
実は、単に還元しているだけだったのだけど。
そう考えると、今のボクの、やたら人にモノを勧める「オススメ癖」も、
子ども時代から身についていた習性だったのかもしれない。
だけど逆に人からモノをもらったり、ほめられたりすることは、異常に恥ずかしかった。
オカンからも、そして他の周りの大人たちからも、
幼少期から「ほめられる」ということに全く慣れていなかったボクは、
大人になった今でも、人からほめられたり、人をほめたりするということが、
どうも苦手らしい。
オカンの放任主義のおかげか、幼いうちから自立心は育っていたものの、
どうも「異様にほめられ下手」な少年に育ったような気がする。
働きながら子育てをしてきた母親を見ていて、「立派な人だな」と思った瞬間がある。
父が亡くなったとき、100人以上のお客さんが弔問に来てくれた。
その日、長崎には雨が降っていた。
オカンはその何百人ものお客さんの靴を一つ一つ雑巾で拭き、
玄関をきれいに拭き、お客さんにお茶や菓子を出していた。
オカンは言葉じゃなく、行動でボクにいろんなことを教えてくれた。
ボクはそんな母の後ろ姿を見ていたけれど、
「ほめられ下手・ほめ下手」のボクにはそんな母親に対しても、
「かあちゃん、がんばってたね」などと当然言えるはずもなく、
その思い出は今日まで、胸にしまってきた…。
そんなボクだけど、母の日だけでなく、
自分の誕生日である2月6日には、今でもオカンに花束を贈っている。
「産んでくれてありがとう」と書いた、カードを添えて。
4000グラムという大きな体を、この世に送り出してくれた、たった一人のオカンに、
感謝の気持ちを込めて。
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5月13日、母の日。あなたはお母さんに、どんな気持ちを、伝えましたか?
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投稿時間:2007-05-14 07:59:40 |
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