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魂ラジブログ
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4月24日 魂ラジレポート
「福山雅治版 東京タワー〜ボクとラジオと、時々オカン」最終話・前篇

1995年11月2日、横浜アリーナ。
自身初となるアリーナツアー最終日を、
最高の盛り上がりで締めくくったのを最後に、
一人のミリオンアーティストが、ラジオ以外の表舞台から姿を消した。

そう、1987年夏の上京から、8年。
東京に来てから夢見ていた横浜アリーナのステージに立った、26歳の福山雅治だった。

これは、18歳で故郷長崎を旅立った彼が、
東京で「ラジオ界の国宝」と呼ばれるまでに至った、
20数年に渡る、壮大な上京物語である。

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初のミリオンヒットから3ヵ月。
1994年6月、ボクは3ヶ月にわたる、全国42ヶ所50公演のツアーの旅に出た。
当時のスケジュールは、「戦い」そのもの。
その忙しさといったら、大好きなオールナイトニッポンまで休まざるをえないほどだった。
時間に追われる日々の中で、ボクはある決断をした。
そう、それは「パンツをはくのをやめること」。
2日で3公演、というスケジュールでは、洗濯が追いつくはずがない。
新品のパンツもしっかり洗わなければ気がすまないボクは、
ライブが終わるとすぐにパンツを洗い、そしてまたライブへ向かう…、
というのを繰り返していた。
「…もう我慢できない!」
さっきまでステージの上で歓声を浴びていたかと思えば、
一人ホテルの部屋で、パンツを手洗いしている。
そんな日々に耐えられなくなったボクは、
思わず手に持っていたパンツを床にたたきつけて、そう叫んでいた。
その日からボクは、パンツをはくのをやめたのだった。

翌95年の誕生日にリリースされた「HELLO」は200万枚を売り上げた。
弱冠26歳。
ボクはダブルミリオンを達成し、年間CDセールスの2位にまでのぼりつめたのだった。

そして、その年の秋には、初のアリーナツアーに臨んだ。
「いつかここで、歌うことができたら」。
デビューする前から、一人見上げては夢を描いていた、あの横浜アリーナ。
そのステージから満員の客席を目にしたとき、
ボクは初めて自分の中に込み上げてくる感情を、噛み締めていた。
それは、CDがいくら売れても味わうことがなかった、実感だった。

「これが俺のピークだ…」
これまでの人生において、人から褒められたことなんて一度もなかったボクにとって、
今の人気が続いていくことなんて考えられなかった。
頭に浮かぶのはいつも、坂を転げ落ちるように人気が失われていく自分の姿だった。

そしてボクは、ツアー最終日の横浜アリーナを最後に、皆の前から姿を消した。


(つづく)
投稿時間:2007-04-24 22:01:57
 
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