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魂ラジブログ
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3月27日 魂ラジレポート
「東京タワー 〜ボクとラジオと時々オカン〜」第三話前篇

1987年夏、長崎から上京。
新宿のピザ屋さんで宅配のアルバイト。
アントニオ猪木さんと出会うも、都会のノリに合わず、3ヶ月でクビ。
ようやく音楽か…と思いきや、肉体労働のバイトに方向転換。
元J-WAVEの入っていたビルの足場を作るも、
お金をチョロまかされて辞める。
今度こそ、音楽か…と思いきや、近所の材木屋さんでアルバイト。
まだ、音楽は始まらない。

そして1988年秋、アミューズ10ムービーズオーディション。
「お、おいどんが福山マシャハル、19歳ばい!」

今夜こそ、最終選考が終わりかけた会場に、
ギターケースを提げた若者が、息を切らせながら現れる…のか?

これは、18歳で故郷長崎を旅立った彼が、
東京で「ラジオ界の国宝」と呼ばれるまでに至った、
20数年に渡る、壮大な上京物語である。

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材木屋のバイトは、とにかく楽しかった。
家一戸分の材木(業界用語で『ひっぱり』という)を、
2tトラックに満載して、現場に持っていく、ただそれだけ。
でも、目に見える形で「仕事」が行なわれ、そして家が出来ていく。
がんばって働いた分だけ、お金が手に入る。
なんて、わかりやすい労働なんだろう。
ボクはそのわかりやすさに、充実感を味わうようになっていた。

材木屋には、かわいい「三人娘」がいて、
親分からは「どれでも持っていっていいよ」なんて、言われていた。
おかみさんはおかみさんで、「たまにはちゃんとお風呂入りなさいよ」と、
しきりにボクに、お風呂を勧めてくれる。
「さすが材木屋」といわんばかりの「ヒノキ風呂」は、
いまどき珍しい、本当に立派なお風呂だった。
風呂からあがると、今度は「ごはん食べていきなよ」と夕飯の用意をしてくれる。
ボクは東京で初めて、自分の居場所を、「あたたかい」と感じていた。

東京に出てきてからのことを思い返すと、
「テストでいい点とったら車買ってもらうんだ」と言っていた、ピザ屋のバイト仲間。
ビルの足場を組む現場で、給料をちょろまかしていたオヤジ。
決していいことばかりではなかった。
東京に出てきて、食うため、そして生きるために金を稼いでいたボクにとって、
それは東京で初めて触れる、あたたかさだった。

親分のお言葉に甘えて、三人娘の誰かと一緒になって、
このまま材木屋を継ぐのもいいかなぁ。
そんな風に思っていた、ある日のこと。

夕暮れ時、ラジオからはゆるやかに洋楽が流れていた。
一緒に帰宅の途についていた材木屋唯一の優男、「中西さん」が、突然ボクに言った。
「キミ、音楽やろうと思ってるんだって?」
「あぁはい、そうなんですけど…なんか最近はここの暮らしにも馴染んできちゃって。
なんていうか…悪くないですよね、こういう暮らしも」
あいまいではあるけれども、
それは当時のボクにとっては心の底からの、素直な気持ちだった。

しかし。
「実は僕、昔デビューしたことがあってね。演歌歌手をやってたんだ」。
突然の「中西さん」の告白に、ボクは驚きを隠せなかった。
「今でもテレビを見ていると、同期の仲間や、知り合いが歌を歌っているんだよね。
当時は本当に辛くて、嫌なこともたくさんあった。
僕はそれに負けてしまって、途中で歌を歌うことをやめてしまったけど、
今もがんばっている仲間をこうしてテレビの向こうから見ていると、
自分もあのときちょっとくらい辛いことは我慢して、
続けていたらよかったのかなぁ…なんて時々思うんだよね」

今にして思えば「中西さん」は、
音楽をやるために東京に出てきたボクに、少しだけ思い出を重ねて、
ノスタルジックに浸りたかっただけだったのかも、しれない。
でも、何気ない「中西さん」の一言は、ボクにとって
「毎日楽しいけど、でも常に漠然と抱えていた不安」を消し去るのに、
十分すぎるくらいの力を持っていた。
「材木屋で骨埋める前に、何かやらなきゃな」。

ボクの心はようやく、振出しに戻り始めていた。
そう、「音楽」という原点に。



ボクは、材木屋で出会った元演歌歌手の「中西さん」の一言により、
ようやく「音楽」という原点に戻りつつあった。
とはいうものの、何から手をつけてよいのかさっぱりわからない。
どこに「東京で音楽を始める」手段が転がっているのだろうか。
早くもそんな壁にぶつかろうとしていた、そのとき。

同居していた友人が、原宿で「スカウト」された。
彼が持ち帰ってきたパンフレットの裏を見ると、
そこには「吉永小百合さんと握手する社長」の写真が大きく掲載されていた。
「レッスン料で30万円がいるんだけど」と彼はつぶやいた。
「でも、やってみようと思うんだ」
「金は?」
「親に借りる。うん、俺、やってみるわ」

ボクらは、基本が昼と夜のスレ違いだったから、それからしばらく、
顔を合わせない日々が続いた。
どうやら、彼は相変わらず高いレッスン料を払って、レッスンを受けているようだった。
東京では、俳優になるのに、そんなに金と時間がかかるものなのだろうか。
「それで、具体的にはどんなことしてるの?」とボクが興味本位で尋ねると、
「『とりあえずレッスンだ』と言われて、ボーイをやってる。
一緒にスカウトされた女の子は、ホステスをやってる」
「それさぁ…『クラブ』だよね?」

うまい話が転がっているのが東京なら、そう簡単にうまくはいかないのも東京だ。
しかし、ボクは仮に彼が騙されていたにしろ、いないにしろ
「東京で『スカウト』された」という事実に、内心嫉妬していた。
彼は、「東京」で彼のルックスを「認められた」のだ。
それに比べてボクはというと、街を歩いていても誰にもスカウトなんてされないし、
そのうえ材木を運んでいる身だ。
そして、このまま材木屋に骨をうずめてしまわんばかりに、
この材木屋に馴染みまくっている。

「東京で認められるルックスなのか、試してみたい」。
ボクはいつしか、そんな風に考えるようになっていた。

そんなボクが「アミューズ10ムービーズオーディション」を知ったきっかけは、
たまたま見ていた、「美少女学園」というアイドル番組だった。
そして、これまた、たまたま見ていた新聞。

「東京で認められるルックスなのか、試してみたい」。
ボクがオーディションを受けようと思ったきっかけは、そう、
「美少女学園」だった。


(つづく)
投稿時間:2007-03-27 12:36:14
 
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